こみみかわら版バックナンバー

ほまれの石像


能登の銘酒「ほまれ」。蔵本は、御祖(おみや)酒造です。

冬は日本酒が美味しくなる季節ですね♪

碁石ケ峰ヘ上がる、県道鹿西・氷見線沿いに立つ大きな一升瓶と石の顔。その真剣な表情は、まるで利き酒しているのかな?と思ってしましました(笑)


藤瀬の霊水


病の治る水として知られており、遠方からも多くの人が中島町藤瀬にあるこの霊水を汲みに来ています。

近くには地元野菜の直売店があり、ポリタンクやペットボトルも購入することもできます。

近くに流れる川、緑も美しくとっても癒される場所です♪


小田中親王塚古墳


中能登町小田中に佇む親王塚古墳。崇神天皇の皇子、大入杵命の陵墓とされ、4世紀頃に造られたとされています。

塚には木が生い茂り、周囲には鯉が泳ぐ堀があります。

民家が並ぶ町中に、神聖な雰囲気を感じる場所があり驚きました♪


ナナオニシキ


この貝の化石は、七尾市岩屋から世界で最初に発見され、「ナナオニシキ」と命名されました。

七尾市総合市民体育館の前に石碑があります。周辺には岩屋化石層があり、ウニの殻、サメの歯等が発掘されました。

地元にも古代の大発見があったんですね~!!


古墳公園とりや


中能登町は古墳が多く、県全体の一割を占める約350基があります。

ここ古墳公園とりや周辺にも、約150基が集中しており、北陸最大規模の古墳群です!
園内にも古墳があり、楽しそうな遊具など、歴史にレジャーにと楽しめます☆


平成堂


朝鮮半島の文化が息づく能登。お熊甲祭は韓国渡来の神が鎮座します。

韓国政府の協力で建築、美術の技師が来て技術提供を受け平成8年に完成。天上は極彩色で彩られとても綺麗です。同年に天皇、皇后両陛下がここを訪れたことを記念して名付けられました。


市役所横の公園に立つ大きな手


七尾市と韓国金泉市は御祓公民館と金泉市文化院との姉妹公民館提携を契機として、1975年10月16日姉妹都市提携を締結しました。

この像は両国の交流30周年記念で建てられました。製作は高麗大學、姜熙徳教授によるものです。


碁石ヶ峰県立自然公園


5つある県立自然公園の一つ。
山頂付近までは自動車で行くことができ、途中の原山大池は見晴らしが良く散策にもぴったり♪

頂上では立山そして広がる田園、七尾湾、志賀町の海、能登半島の輪郭の一端を眺められます。う~ん絶景!!


雨の宮古墳群


中能登町西馬場にある国指定史跡。
眉丈山の山頂を中心に4世紀中頃~5世紀初期に造られた36基の古墳が点在。

前方後方墳としては県内最大規模の1号墳からは、中能登町の景色を眺望できます!敷地内では資料館・芝生広場があり、楽しめます!


中能登農道橋(ツインブリッジのと)


七尾市能登島地区と中島地区を結ぶ全長620mの橋。

中島地区側に「長浦うるおい公園」があり、小さな売店で軽食も頂くこともでき、ドライブの休憩にぴったりです♪

展望台からは七尾湾にかかる優美な橋の全景を望むことが出来ます!


虫ヶ峰風力発電所


山の峰に10基の風車が並び見えるのは、中島町の標高292mの虫ヶ峰。

近づくにつれ、羽根の大きさ、柱の高さに圧倒されます!ゴウンゴウンと音をたて、回る羽根。

地面に巨大な影を落とし回り続けるさまは、一見の価値ありですよ!


野口雨情の詩碑


昭和9年に野口雨情が、田鶴浜を訪れ赤蔵山からの眺めを雨情独自の、七七七五の、詩にしています。「朝にゆふへに 赤倉山は下に能登湾 ひとながめ」。

「赤い靴」「証城寺の狸囃子」等で知られる雨情の童謡。歌ってみると懐かしい気持ちになりますね♪


七尾港開港100周年記念絵図


七尾湾は古くは香島津と称され、天然の良港として栄えました。

近代において整備が進み、昭和26年に重要港湾に指定されました。

石碑が建つ七尾マリンパークは、穏やかな七尾湾を望めるよう、海に面してベンチがあり、人々の憩いの場になっています。


能登まほろばの郷


アッピー鹿西芝生広場にある石碑。

眉丈山に抱かれ、長曽川の恵に古くから文化が栄え、能登文化発祥の地として「能登まほろばの郷」と命名されました。

まほろばとは、すぐれた国、すばらしい場所、住みやすい地域のことです。ふるさと能登は良い所。


日像上人の像


小丸山城址公園に建つのは、日蓮上人の弟子で、能登に於ける日蓮宗の基礎を築かれた、鎌倉時代の僧、日像上人の像です。近くで拝見すると、とても大きく、威厳が感じられます。

約七百年経った現在も多くの方に敬われています。


七尾豊年太鼓


食祭市場向かいに建つ七尾豊年太鼓の石碑です。
700年前、能登地方に大干ばつが続いた際、大きな櫓の上で、必死に太鼓を打ち鳴らしました。その願いが通じ、大粒の雨がもたらされました。

以来、雨乞い太鼓は豊年太鼓と呼ばれています。


高浜虚子の句碑


和倉弁天崎公園、高浜虚子の句碑。
正岡子規に従事し、「ホトトギス」を継承した俳諧の巨星。

昭和24年能登路を巡り、詠んだ「家持の妻恋舟か春の海」は奈良時代の歌人大伴家持の歌を追憶して、和倉の海を讃えました。


的場孫三の顕彰碑


旧豊川小学校の運動場に建つのは的場孫三さんを称える顕彰碑です。

孫三の名は襲名で、5代続き、約180年間に渡り日用川一帯を埋め立て、田んぼを作りました。

私財を投げ出し村人のために尽くした人生はまさに能登の二宮尊徳ですね。


寄合い処みそぎ


花嫁のれん館の建設にあたり、馬出町の集会場だった旧徳沢荘を取り壊し、代わりに建てられました。

色々なイベントに利用して頂けます。

4月9日、花嫁のれん館のオープンに合わせ、お茶会が催されました。


九月十三夜仁忠作


1577年秋、七尾城を攻める上杉謙信が詠んだとされる漢詩。その石碑が七尾城資料館の庭にあります。

激しい合戦の合間、大自然に包まれ凛とした夜の静寂、世の哀れを感じたのだろうか。詩に寄せた想いを思いつつ…