こみみかわら版バックナンバー

能登島ダイビングリゾート

堀越 智也 (ほりこし ともや)さん 

29歳 AB型

栃木県出身で、物心ついた頃から魚が好きでした。
ある時、さかなクンを見て、「僕もこの人のように魚の魅力を世界に伝えたい!」
と思い、今まで魚道を力の限り突っ走ってきました!

東海大学を経て、水族館で働き、その過程でイルカやクラゲなど、何でも大好きになり、
ご縁で今の仕事に辿り着きました。

今や能登島はダイビングの沸騰ポイント!
これから僕は、そこに息づく素晴らしい生き物たちを皆さんに紹介していきます!



住 所:七尾市能登島野崎町89-17

お電話:0767-84-0081


はい!社長です-Natural Graphics-


Natural Graphics 木村 幸生(きむら こうき)さん 37才 AB型

主に結婚式や成人式、初参り等の写真を撮影させて頂いております。お客様にとって
大切な節目の日にご一緒させて頂くなかで、たくさんの笑顔を写真にという事を
常に意識しながら撮影しています。笑顔を見るとまわりの皆も笑顔になり幸せな気分に
なります。10年、20年、その先、当時の写真を見て皆が笑顔になれる、そんな
一生の宝物へとなるよう日々精進しています。

住 所:七尾市中島町塩津
お電話 0767-66-6377


(株)ホンダ販売スギフジ

忠貞 栞莉(ちゅうていしおり)さん   

スギフジの長女として生まれた私は、年中無休のお店で働く両親の姿を見て育ちました。忙しい父には
何処へも連れて行ってもらえず寂しい思いもしましたが、私のやりたい事は全て応援してくれ、
大好きなピアノをしたいと言うと横浜の高校へ行かせてくれました。そんな両親の力になれればと
高校を卒業してからお店を手伝っています。時代の変化が早く、社会が進化していく中で
自分も進化しなければと毎日が勉強です。笑顔を絶やさず、当社ならではのサービスと感動を
ご提供できればと頑張っています。



住 所:七尾市八田町ロー1-3

お電話:0767-57-3550


第121回 中能登町東馬場


町名の由来

古文書によると鎌倉時代の馬庭(ばんば)村が、
室町時代に分村して鹿西の西馬場、鹿島の東馬場となったようだね。

ここは邑知潟地溝帯の上にある在所なので、
湿地帯から平野になっていく過程で馬を遊ばせたり、
餌を食べさせるような場所になっていったのではないかなぁ。
三角池の近くに今も馬洗場(ませんば)と呼んどる場所があるし、
そんなことで馬庭と呼ばれ、そして馬場となったと思うんだよ。

在所の歴史

山裾に位置する西馬場にはお寺があるから、昔の馬庭村の人はそこに住んで、
ここは馬の庭でしかなかった場所だったと思うんだ。
そこに人が住みだし集落が出来てきたので分かれたのではと想像してるんだよ。

東馬場にはお寺が無く、散り門徒で能登部や井田、水白など近在のお寺の門徒が多いので、
その辺りから移り住んで来たんではないのかなぁ。

戦前、軍需工場があったんだ。
それが敗戦で昭和23年に滝尾織布株式会社に変わったんだ。
織機が176台もある大きな工場でね、私の母親も勤めていたし、
在所中の人が勤め現金収入を得ていたので生活の基盤が安定した在所だったよ。
二交代の勤務で夜道が危ないからと在所中に街灯がついたんだ。
当時では大変珍しい事で、周りから田んぼの中に夜でも明るい在所があると揶揄されたよ(笑)。

それが昭和31年6月に工場が火事で全焼したんだ。
その頃から八台機場(はちだいはたば)と呼ばれた織機八台の家内工場がブームになるんだ。
在所でも多いときで46軒の機場があったけど音がうるさくて夏でも窓を開けられなかったよ。
在所の中の空気が動きっぱなしという感じなんだ。
慣れたらそれが普通になってね。
盆と正月に機械が止まると、在所中がシーンと寝静まったようになったよ。

これから

中能登中学の裏に新興地もあり若干世帯も増えているので、
祭りが出来るだけでも良しとせなならんね。
子供の頃、田んぼで聞こえたカエルの声が織機の音に変り、
それが無くなった今、土水路から基盤整備された田んぼではカエルの声も聞こえないし、
ホタルもいなくなって世の移り変わりを肌身で感じているんだ。

高齢化が進み空家が増えたけど、在所の中が荒れないように空き家対策をして、
住みやすい東馬場を守っていくために、真剣に考えなならん時が来たように思うこの頃だよ。

かなこの一言

邑知潟が平野になり人が住んだ。
人が住むとこ歴史あり。


七尾東雲高校筝曲部


私たちは、部員6名と顧問の先生、技芸講師の先生とともに活動しています。静かで大人しいタイプが多い部ですが、学年関係なく、楽しくコミュニケーションができています♪楽譜の読み方から演奏まで、全てが奥深く、合奏で合った時はとても気持ちが良いです!9月23日には文化祭で発表するので皆で心をひとつにして、練習しています!


光徳寺の旧鬼瓦


馬出町にある光徳寺。境内には大きな鬼瓦があります。案内板によると、平成七年に本堂の大屋根の葺き替え時に古い鬼瓦を降ろし、積み直したものとのこと。

普段、屋根の上では大きさを感じませんが、間近で見るとこんなに大きくてビックリです。本当に立派!


第120回 七尾市水上


在所名の由来

山の中腹にある在所から深い谷間を見下ろすと、
熊淵川とその支流の水上川と2本の川が流れている在所なんだ。
そして山も沢山の水を含んでいて、水の豊かな在所だったんだよ。
それで水の上にある在所、水上となったと思うね。

昔の在所

七尾城に使えていた農民が隠れ家のように暮していた在所だよ。
元祖は畠、白藤、村山、西尾の4軒だけど、
畠さんが在所の神仏をお世話する中心的な家だったね。
在所内で婚姻が進み今ではみんな親戚だよ。江戸時代、
赤穂浪士討ち入りの頃には12軒だと古文書にあるね。

江戸末期から在所でガバダンと呼ぶ山で石灰石を採掘して
牛で東浜まで運んで近郷に肥料として売っていたようだよ。
昭和8年からは津向のセメント工場に空中ケーブルで滝ノ尻、
小池川原、八幡を通って運ぶようになるんだけど、
ガバダンで働く人が増えて多い時で48世帯300人以上が
暮らすようになり、在所にあった第2南大呑分校が
城南小学校として格上げされたんだ。

子供の頃、寄合いで大人から「オイ、獲ってこいや」と言われると、
川の岩魚を手づかみで獲って、竹に刺して味噌を漬けて、
囲炉裏で焼いてみんなで食べたんだ。
寒の時期にカキモチを作るけど、この時に大根のおろし餅みたいにして、
つきたての餅に鱈の真子の煮付けをまぶして食べるんだ。
この「鱈の子餅」が水上のソウルフードなんだ。

今の在所

ここは岩盤に表土が乗った地質で昔から地すべりが多く、
山の水を抜いた小さな工事跡が沢山あるよ。
大災害にならないようにと県がボーリングで水を抜く大工事をしたんだ。
そしたら在所中の井戸水が枯れてしまって、
それで平成13年に谷で堰き止めた水をタンクに入れ
滅菌してパイプで各家庭に配水したけど水質が良くなく困っているよ。
市に相談したら水道工事の地元負担が1千万円ほどかかると言われ諦めたね。
空き家も多く狸の家になっているんだ。
実は10数年前まで街で暮らしていたけど、
一生懸命働き、精一杯遊んで、納得したからここに戻って来たよ。
まだ勤めているけど田んぼしたり、猪を獲ったり、
寺参りしたり余生を満喫してるんだ。
やっぱり古里で最後を迎えたいと思ってね。
水上は今住んでいる人を最後に消滅するけど、
我々8人が最後の水上住民として歴史に残るんだよ(笑)。

まぁの一言

人も在所も栄枯衰勢あり、
今を前向きに生きる事が大事。


七尾中学 野球部


部活動は週に6日行っています。時間を大切にし、工夫して練習の質を高めています。試合では、先制点を取って流れをつくり、隙をつくらないように最後の一球まで集中力を切らさないようにしていきます。道具を大切にする心、野球ができることに対しての感謝の心、礼儀を正しくする心を野球を通じて育めるように全員で、頑張っています。


はい!社長です-瀬 成 農 場


瀬 成 農 場  瀬成 道斗(せなり みちと)さん 30才 A型


曾祖父の代から約60年、四代に渡って農家を営んでいます。

現在は白ネギ、サツマイモなどを栽培していますが、自然が相手の仕事なので、中々自分の思うような野菜が作れず悪戦苦闘の毎日です。家族みんなで支え合いながら、時には喧嘩しながら頑張っています(笑)

今年の冬から自作のサツマイモで焼イモの移動販売を計画中です。


住 所:七尾市能登島無関町2‐55‐3
お電話:0767-85-2736


旧中島高校前歩道橋


中島駅前に立つ黄色の歩道橋。片方が旧中島高校の心臓破りの坂に架かります。

2010年、東雲高校に統合されてから、渡る人もいなく、ちょっと寂しそう。でもこの存在感は立派です。

色々と思い入れのある方も多いのでは♪青春の思い出遺産に推薦します(笑)


ローレルハイツ恵寿

鳥竹 麻緒 (とりたけ まお)さん 

24才 A型

田鶴浜高校で介護福祉士の資格を取得しました。高校での経験や資格を活かし、正社員として働ける介護施設を選びました。

日常生活の支援だけではなく、高齢者が楽しく生活を送る為にはどうすれば良いか考えて仕事をしています。高齢化が進む七尾で、必要とされる施設づくりを目指します。

明日、8月13日(日)16:00~ローレルハイツ恵寿前で夏まつりがあります!是非、みなさん遊びにきてくださいね★



住 所:七尾市富岡町95

お電話:0767-52-6014


第119回 七尾市和倉元町


町名の由来

約1200年前、白鷺が海で傷ついた足を癒やしているのを
不思議に思った漁師が近づいて温泉が出ているのを発見したと
伝わっているけど、温泉が海の中から湧いていたことから湯が湧く浦、
湧浦と呼ばれ、江戸時代に和倉となったということだよ。
当時の古文書では湧浦村と和倉村が交錯してるんだけど、
これは七尾を所口と呼んだり七尾と呼んだりしたのと同じように色々あったんだろうね。

昔の温泉街

和倉七軒といって昔は七軒の百姓が住んでいた在所が温泉のお陰で発展したんだね。
19歳で石崎から和倉元町へ養子に来て60年経つけど、
その頃は今の源泉の周りに小さな旅館が
並んでいて元町だけで25軒、芸者の置屋も4軒あったよ。
源泉は熱いので旅館には浴槽が二つあって交互に冷やしては使っていたよ。

当時はどの旅館も小さかったので会合するため青林寺の
近くに小さいながらも観光会館を建て会合が終わると
マイクロバスで各旅館へ送っていたよ。
1日に120人以上の観光客が来ると
七尾の松田花火が自転車に道具を引っ張ってきて花火を1発打ち上げるんだ。
いでゆ太鼓も各旅館の玄関先で歓迎の太鼓を打つんだ。

私はモーターボートで七尾湾の遊覧をやっていたけど
近隣の機場(はたば)から集団就職の女工さんの気晴らしにと沢山連れて来てもらったよ。
観光客も団体が多く街にはたくさんの芸者が三味線もって歩いているし
昭和40年代が面白いほど賑わっていたね。
それで小さかった旅館も観光会館も場所を移して大型化していったんだ。
ところが大型化した旅館がホールや宴会場を持ったから
今の観光会館が使われなくなったんだね。
それと家族客が増え芸者に声がかからなくなり、
いつしか置屋も無くなったんだ。

現在の取組

土地柄で和倉温泉観光協会がヨット、
よさこい、太鼓、俳句などいろんなイベントに
関わっているので町会はよさこいの手伝いをするくらいだよ。
和倉には自然、歴史、文化と潜在的な魅力がいっぱいあるんだから、
一本杉の観光ボランティアみたいに丁寧に案内すればと思うんだ。
和倉の事なら隅々まで案内できるけどね(笑)。
和倉から七尾湾をアプローチすれば違う
景色が見えるって事にも気付いてほしいんだがなぁ…。

まぁの一言

灯台下暗し、魅力がいっぱいだった。
和倉だけで1日過ごせそう。


第118回 能登島田尻


町名の由来

在所のある山ヶ地区は、通、田尻、久木、この三つの小さな在所が
集まって力を合わせてやってきた歴史があるんだ。
そして田尻は、通の分家の在所なんだよ。通の二男、三男が
新宅するのにここで住み出したんだろうね。
そしてこの場所は、通から見れば、地形的には田んぼの先、
田んぼの尻に当たることから、田之尻と呼ばれていたんだ。
それで田尻になったと聞いているよ。

昔の在所

田んぼが少ないので漁で暮らしを立ててきた在所だよ。
田尻港を出れば立ケ島、中ノ島、鱈島と三つの島があるけど
その周辺は瀬だらけの海なんだ。
瀬には魚が集まるから刺網、引き網、
もったりと呼ぶ小型の定置網などで近海ものが沢山獲れたんだね。
昔はそれを中島の助作やよんじょもなどの魚屋さん
が買いに来てくれていたと聞いているよ。
寒天の原料になるエゴ草も採れて長野県へ出荷していたと言うよ。
私が子供の頃、まだ能登島はバラス道だったんだ。
そんな時に田尻の道だけコンクリート舗装されていて裸足で走って遊んでいたよ。
これは在所の共有地、ボロボロ鼻付近の海辺の山を売ったお金で整備したという話だよ。
昔は東回り、中ノ島回り、西回りと能登島を定期船が回っていたんだ。
ここは西回りで南、無関、閨、田尻、通、半浦と回っていたんだ。
当時は郵便配達も学校へ通うのもみんな山道と定期船で移動してたんだね。

現在の在所

祭り、駅伝、運動会など通、田尻、久木が三ヶ地区として
一緒に組んで来たんだけど、昭和20年代生まれの人が引っ張って来たんだ。
能登島の駅伝は今年59回を数えるけど過去には連続10回以上優勝しているんだ。
そんな時分は2ヶ月前から練習に引っ張り出されて走らされたけど、
今その世代も年をとって次の若い衆も少なくて昔の活気は無いよ。
通と田尻の境にある八幡神社は通と共有の神社なんだ。
祭りは中島の枠旗祭りと同じ形態でね、昔は神輿2つ、
旗3つを出して各在所と久木の塩田跡の釜屋敷で枠旗を練っていたそうだけど、
私が子供の頃ですでに久木も田尻も枠旗を出せず、今は神輿も出せないのが現状だよ。
まぁ在所が家族のようなもんで、ほのぼのと暮らしているんだよ。

まぁの一言

恵みの海に育まれた在所
対岸の西岸が近くに見えた。


七尾中学校 吹奏楽部


何もかもが新しい七尾中学校吹奏楽部。3つの学校の音色を1つに合わせるには、まず心を合わせることが大切です。不安もありますが、それ以上に希望もあふれています。たくさんの人に音を届け、たくさんの人を笑顔にさせる部でありたいです。そして初のコンクール。新しい七尾サウンドを響かせ、やるからには“金賞”を目指して頑張ります!


はい!社長です-川下建機工業株式会社


川下建機工業株式会社 川下 五継(かわした いつぐ)さん 40才 A型

6月に社長に就任しました。昨今の世相の変わりようがとても早く、うかうかしていると置き去りにされてしまう感じがします。

ICTの普及や世界的な環境規制、高齢化社会での労働力不足など変化する環境の中で会社の存続をかけて、顧客貢献と地域貢献を新たな視点で考えなければと思います。

10年後にも地域に必要とされている企業であり続けるために、社員と共に強い信念と自負を持って頑張ります。


住 所:七尾市中島町笠師ミ部37番地
お電話:9767-66-1108


七尾東雲高校 ヨット部


今年4月に創部しました!部員は3名ですが、普段は羽咋工業高校、日本航空高校石川校ヨット部の生徒さんと、合同で練習しています。顧問の岩城先生から一から教わり、覚える事も沢山あり、大変ですが、ヨットの醍醐味が分かってきました。個々の大会はもちろん、来年の北信越大会を目指して練習しています!ヨットの素晴らしさを日々感じれて、とても楽しいです!