こみみかわら版バックナンバー

道の駅 織姫の里なかのと

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バイパス沿いから見える公園で、カラフルでくねくねした滑り台や小さい子用の可愛い滑り台もあります♪
すぐ横には、ドッグランもありワンちゃんも一緒に楽しめます!疲れたら道の駅内で休憩もできますよ♪


第71回 中能登町 武部

253中能登町 武部

在所名の由来


在所の建部(たけべ)神社の祭神が倭健命(やまとたけるのみこと)をお祀りしてあってね、いつの頃からか合祀神社となって今では倭健命ほか六神を祀っているんだよ。昔、多茂城という城があって、城主の祈願所でもあったというから、重要な神社だったんだね。それで在所名も神社の名前を頂いて武部となったと伝わっているよ。



昔と今


昭和三十年代は養蚕が盛んでね、桑畑の中を通って小学校へ行ったよ。口を紫色にしてね(笑)その後、織物が盛んになって、機場の音の中に在所があるようだったよ。三十軒くらいあったと思うよ。その頃は商店も道路沿いに十七軒あってそれなりに活気があったね。近年はこれという産業はなく、農家と近隣に勤めてる人が多いよ。田んぼが多いけど、水が通らない在所なんだよ。山からの水は隣在所の二宮川と石塚川に流れ込んでいてね。ため池も五つあるけど、それでも平成六年の大干ばつの時は赤浦潟や邑知潟からミキサー車で水を運んだけど田んぼは真っ赤になってしまったよ。そんな事があったんで灌漑用の井戸を掘ったんだよ。そんな経験があるので、農地は基盤整備しておきたいね。米価が下がっても農地がしっかりしていれば打ち手はあると思うよ。



在所の自慢


子ども会、青壮年会、女性会、長寿会、どれも公民館事業として連携するから横の繋がりが親密なんだよ。六月の防災訓練も百四十名の参加があって嬉しかったね。次は八月一日の鹿島小学校開校記念の祝賀パレード、翌二日の町祭の前夜祭に中高生から三十五歳までの武部獅子舞保存会三十五名が参加するけど、この子らが在所の宝物だと思っているんだよ。よかったら見に来て下さいね。


第69回 中能登町 廿九日(ひずめ)

251 中能登町 廿九日(ひずめ)

在所名の由来


珍しい地名でね、町史にも諸説あるけど、ここは新庄、在江、川田という在所に挟まれていて、江戸時代初期に出来た在所なんだ。隣の在所は平安から鎌倉にかけて荘園として開墾されているから、ここは開墾に適さない外れの土地だったんだね。それでも江戸時代になって人が住むようになり、田を開墾していくんだが、田に水を引くのもままならず、小川から桶で水を汲んで田に入れたと伝わっているよ。そんな田んぼだから収穫量も少なく年貢に四苦八苦し、毎年暮れの二十九日にやっと納めていたんやと。それでこの在所をにじゅうくにちの廿九日(ひずめ)というようになったという説に、頷いているんだよ。



昔と今


多くの人は農業しながら七尾方面へ勤めていたよ。機場も五軒あったけど今は建物だけ残っているよ。だんだん世帯も減っていき四十世帯を割った時、祭りも出来なくなってね、
一旦中止した時期もあったんだよ。それが二十年前に在所の神明の山を開いて宅地が開発され、近隣の在所から若い人が移り住むようになり世帯も倍近くに増え、今では小中学生で三十人程いるんだよ。それで平成十八年に祭を復活することが出来たんだけど、これはとても大事なことだと思うよ。昔は在所の人みんなが子どもの顔や名前がわかっていたけど、近年は同じ在所でもお互い顔を知らないってこともあるからね。七尾の駅前で廿九日の年寄りと子どもがお互い知らん顔じゃ寂しい話だよ。声をかけたり、挨拶できて同じ在所に暮らしてる意味があると思うね。そういう絆が出来るのが在所の祭りじゃないかと思うんだよ。



在所の自慢


若い人には、在所のしきたりも知ってもらいながら、若い人の考えや力も十分に発揮してもらい、まとまっていかないとね。後発の在所で先祖は苦労の中、力を合わせてきたんだし、今また神明の山を開き、来たりし仲間と共に力を合わせ後世に繋いでいく、それが廿九日の歴史なんだよ。


第67回 中能登町 小金森

249中能登町 小金森

在所名の由来


町史や伝記によるといくつかの説があるんだけど、昔、宝達山で金がとれていた時代があってね、その金が山づたいに流れて来たのか、在所を流れる地獄谷川の源流付近を「小金谷」(こがたん)と呼んでいるんだ。 その周辺にも金が取れたことから「小金森」が在所の名前になっていったんじゃないかなぁ。



昔と今


今も昔も職人の多い在所でね、昔から農業を営み、手に職を持って生活してきたんだろうね。 おかげで所帯の小さい在所だが、何をするにも手際よく何でもやれてしまい助かるよ。
不思議と世帯数が昔から変わっていなくてね、外に出た長男の多くは在所に戻ってきてくれているから、おかげで小学生だけでも十人以上いるよ。在所では年にひとつは環境整備事業をということでやってるけど、今年は集会所に「のとキリシマ」を
十二本植えたよ。



在所の自慢


碁石太鼓は中能登町で有名な天平太鼓から昭和四十五年に派生し、小金森の若衆だけで取り仕切っているよ。 毎年元旦の午前零時から宮様で奉納太鼓を打ち、その後、夜明けと共に碁石ヶ峰に移動しご来光に合わせて太鼓を打つんだよ。 在所の宮様も歴史があってね、「木賀(こが)神社」と言って木の神様を祀っているんだ。
境内には大きな銀杏の木と欅の木が二本並んで立っていてね、おいで祭りの三月二十一日に宮司が銀杏の木をめがけて矢を射るんだよ。 これは昔、大国の神様が邑知潟を平定して巡幸された折、神様の子どもがいつまでも付いて来るので地獄谷川の小金森橋の橋元に向って矢を射って帰らせたとの言い伝えを残しているんだね。


第64回 中能登町 新庄

246中能登町 新庄

在所名の由来

この辺りは、平安から鎌倉にかけて荘園として開墾されているんだよ。 その荘園の拠点がここでね。 荘園は庄園とも書いて、それで新しく出来た庄園、新しい庄、新庄となったと言われているよ。

在所の今昔

元来、農業で生計を立てていたけど、 昭和30年代から俗に言う「八台機場」の織物業も盛んになって30軒程あったけど、オイルショック以降、みんな辞めちゃってね…。 新庄は昔から防災意識の高い在所でね。 両脇を流れる二本の川は、耕作には大事な川なんだけど、洪水の被害も大きくなってしまうんだよ。 特に石塚川は天井川で川底が田んぼより高くて、子供のころは雨が降って水位が上がると、太鼓を鳴らして警戒していたよ。 今は河川改修が進んで石塚川の一部を道路に変える工事中だよ。 それと防火対策も昔から徹底していてね、農業用ため池を利用していざと言う時にその水が在所中に張り巡らせた防火用水路に流れるようにしてあってね、更に在所の真ん中には昔からの半鐘が今も設置してあるよ。 そんな伝統があるので、自衛消防団も組織されていて消火栓の点検や夜間パトロールなど実施しているけど、お金をかけずに、身の回りの細かな事をしっかり取組むことが大事やね。

在所の自慢

曳山が豪華絢爛でね。本来は氏社に慶事があった時、お祝いに曳いていたけど、近年は鳥屋の曳山として町祭に勢揃いし、雄姿が復活して喜ばしいよ。 それと信仰が厚い在所で太子講、同士講、若い衆恩講、地蔵祭りなど伝統があって、仏事や祭りを軸に在所がまとまっているのは本当にありがたい事だよ。 在所の神社には歴史をずっと見続けてきた樹齢約八百年の大杉が二本あってね、この大杉に恥ずかしくないように在所をしっかり守り続けなければ…と願っているよ。