こみみかわら版バックナンバー

私の仕事は『落語家』です

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落語家の仕事とは


言葉ひとつで、お客様が想像を巡らし、場面転換し、時間空間を自由に行き来して、笑ったり泣いたりして楽しんでもらう、身近なエンターテインメントです。



舞台芸人でありたい


上方落語家として吉本興業に所属し、この夏に鳥取県の三朝温泉で三十五日間の高座を行ってきました。まだ駆け出しで、普段は蕎麦屋やバーなどで営業です。熱い想いは、なんばグランド花月で看板を上げることです。タレント活動も余儀なくされますが、落語が中心の、あくまでも舞台芸人でありたいと思っています。



憧れの浜ちゃん


小学生の時、映画「釣りバカ日誌」を見て、「浜ちゃん」に憧れました。お気軽な人生ではなく、好きな事をやり通す人生なんです。人前で笑わせることが好きな私は、御祓中学一年の時、それが職業になる事を知りお笑い芸人になりたいと思います。中二の時、金沢竪町吉本劇場で吉本芸人とネタで対決するシリーズがあり同級生とコンビを組んで出場し、七尾高校では文化祭のステージに立ち笑わせていました。関西大学に進みますが、理由は桂三枝師匠(当時)の落語研究会があり、そこでかばん持ちすれば吉本興業に入れるという噂を耳にしたからです。結局それはガセネタでした。(笑)



あっち側に立ちたい


お笑い文化を研究に来たドイツ人留学生が正座が出来ないということで、私と漫才のコンビを組む事になりました。第七回新人お笑い尼崎大賞に出場し優勝します。この大会はプロアマ混合で若手芸人の登竜門です。初代チャンピオンは友近さんです。松竹芸能にスカウトされテレビ出演やラジオ番組を持ち、最初で最後のチャンスだと思い頑張っていた矢先、相方の都合で三年間のコンビが解消です。新たな相方・新たなネタ作り・相方に左右されるリスクを考えた時、心の糸がプツンと切れ、サラリーマンを始めます。未練を断つためバラエティーは一切見ず「釣りバカ日誌」だけ見て過ごします。二年後、忘年会で吉本芸人が呼ばれ漫才を披露します。「悔しい、あっち側に立ちたい」と思ったその時、上司が肩を叩き「あっちに戻れないのだから、こっちで頑張れ!」と。その一言で心が吹っ切れます。「自分を押し殺した辛い思いで働くことに耐えられない」と辞める決意をしました。



人生のバイブル


最後の昭和芸人、月亭可朝師匠の破天荒な人生、その人柄に惹かれ、手紙を四回出しやっと面談を許され、紆余曲折の後、その弟子の月亭八方師匠へ弟子入りします。上方の年季明けは約三年、師匠のお世話を三六五日、自由時間は無く丁稚奉公です。三食とお小遣いは頂けますが、お酒も女性とのお付合いも禁止です。多くの弟子はここで挫折します。この春、年季が明け、お笑い芸人としての再デビューは、人生観を変えてくれた「浜ちゃん」のおかげで「釣りバカ日誌」は私の大切なバイブルです。


 

大阪  吉本興業 06‐6643‐1122