街かどニュース

森繁久彌著「海よ友よ」本の題名を店名にした、さぬきうどんのお店



和倉温泉口にうどん屋がオープンしたらしい。
そんな情報を得た私たち取材班は
ランチを兼ねて出かけることにした。

四角い白い看板の、本さぬきうどん 海と友よ

しばらく閉店していたようだが、リニューアルオープンしたのだろうか?

店内に入る。
笑顔で迎えてくれたご主人は、なんとあの田尻正志さん、
21年前に和倉で能登よさこい祭りを立ち上げた御仁ではないか。

御年67歳だという。和倉の親父さんという風貌が漂う。

なんでまた、うどん屋を?

まだ枯れるわけにはいかんしなぁ・・・。
まぁ、かあちゃんと二人で、昼間だけやけど、店することにしたんやぁ。

さりげない一言だが、ズシリと響く。
走り続けてきたプレイヤーだからこそ、
今を、これからを、どう生きるのか、わかっているのだと思う。

あかもくうどんを注文した。七尾湾の海草、珍味だ。美味い!

定食もランチも丼もない。ビールはあるけど日本酒はない。
つまみもない、うどん屋だ。

こだわりは、本場のさぬきうどん。モチモチして美味い。

カウンターに一冊の本があった。 海よ友よ 森繁久彌著

これってお店の名前ですよね。

森繁久彌に本の題名を店の名前にしたいと言ったら、
承諾してくれ、おまけに看板の文字まで書いてくれたんだ。

へぇ~、それってすごいですね。
なんでそんなことできるんですか?

興味がわき、話を聞くと30年前にさかのぼる。

当時、衰退する七尾を何とかせねばと
危機感を持った、若かりし田尻さん始め
七尾の若手経営者仲間が集まり、街づくり運動を行っていた。

かつて港町として栄えた七尾。海をテーマに、全国から
「海の歌」を募集する事業を開始した。
全国から多くの海の歌が集まった。

石碑を建てるのでなく、永遠に残る七尾の歌を、
著名人にも作ってもらおうと、森繁久彌に依頼する事になった。

しかし、依頼してもなかなか返事がない。

後に国民栄誉賞を受賞した人だ。
田舎者のどこの誰とも分からない
連中を相手にしたくないのか?

田尻さんは何度も手紙を書き、
4回も上京するが会ってもらえない。
マネージャーのガードは固い。

五回目、ついに会える日が訪れる。
帝国劇場にて上演中の、芝居が終わってから
楽屋での面会が許された。

七尾から上京したメンバーは、その芝居を観劇し、楽屋へ向う。

喉がカラカラになるほど緊張し固まって座って待つメンバー。

30分ほどの面会時間だった。
田尻さんは、熱く、熱く、語った。

能登七尾のこと、海の歌のこと、お願いしたい理由、

うん、うん、と聞いてくれる森繁久彌。

そして、最後に一言、田尻さんは
言わなくてもよい事を言ってしまったのだった。

同行したメンバーに緊張が走る。

森繁先生、今日のお芝居で気付いたことがあります。
一箇所、間違いがあります。

うん? どこだね。

はい、お茶を出す場面ですが、
奥様が家の主人に先に出して、
お客様が後になっていました。

普通はお客様に、先にお出しするものです。

あっ、そうだったな。

理由があった。主人役が森繁久彌だったため、
競演の女優が、楽屋と同じように、
先に森繁久彌に出してしまったということらしい。

当時、天下の森繁久彌に、ものが言えない人が多い中、
初対面で率直に言った田尻さんを、
森繁久彌は好意的に受け止めてくれた。

そんな縁から、二人はとても親しい間柄になっていく。

森繁久彌が晩年になっても、田尻さんは変わることなく
能登の名物を持っては遊びにいき、
自宅で語らい、時に近くの駒沢公園を二人で散歩したという。

そんな縁が、このお店の名前の由来である。

和倉で生まれ、和倉で育ち、誰よりも和倉を愛している男。
山あり谷ありの人生を歩んできた男。

うどんも美味しいが、和倉の親父さんとして、
どんな働きを見せてくれるのか、
まだまだ田尻正志がおもしろい。


海よ友よ さぬきうどん専門
11時~15時 不定休
0767-62-0500