七尾市殿町 故郷探訪 その⑤ 動画あり
七尾市崎山半島の付け根に位置し、東に灘浦海岸、西に七尾湾を結ぶ峠の谷あいの在所で、27世帯、86人が暮しています。
高さ180cm、幅80cm、厚さ15cm、の大きな板碑です。在所では、立石祭りと称して、春と秋にお参りしています。
在所のお宮としてはとても立派です。特に屋根の構えが凄いですね。江戸時代、湊町の棟梁、二穴喜作さんによるものです。
阿(あ) 大きく口を開けています。
吽(ん) 殿の狛犬はどこか特徴があります。
担ぐ薪がこれだけリアルな二宮金治郎も珍しいですね。明治28年に殿尋常小学校開設、大正9年校舎落成と記録されていますので、この時に作られたのでしょうか。昭和25年に東湊小学校の分校となり、昭和42年に廃校した時に神社の境内に移されました。
崎山川の上流に位置し、きれいな川が在所の中を流れています。
山と山に挟まれた段丘の在所で、山のふもとを棚にして屋敷や畑が連なります。在所名は棚(たな)が転化して殿(との)になったのではないかという説もあります。
壊れそうな空家も風景に溶け込んでいました。
殿は山に挟まれ平野の少ない在所なので、少しでも田んぼを増やすため、在所の中を流れる崎山川の水を山すそに開けた隧道(マンポ)に流し、元の川を埋めて田んぼにしました。こんなマンポが三つあります。
有名な沢野ごぼうも、殿の畑でも作られています。沢野、殿、岡、湯川の地質が粘土質でごぼうの栽培に適しています。
交通不便な土地柄だったため、昭和5年から昭和12年にかけて、殿と近隣の在所が力を合わせて殿から大田までの道路を開設しました。当初の丸太で支えられた隧道も昭和37年に改修されました。民間で作った道路が、現在の国道160号線の原型となったのです。
殿町の在所記事は