全国で二つしか残されていない御便殿です。和倉温泉と島根県浜田市に現存しています。 建築史からすると、これは奇跡だと言われています。 御便殿とは、皇室が地方に出た時の休憩所で、普通は使用したら取り壊します。 明治42年、大正天皇が皇太子のとき、七尾に行啓された折に建てられました。
シルクの座布団、内庁が用意したものです。110年経った今でも虫がついていません。絹は蚕から作られ、蚕は虫、よって虫がつきません。
二重織り上げ天井です。京都の二条城、名古屋城の本丸御殿と同じです。
栃の木で、虎の皮のような木目、虎斑(とらふ)が凄いです。
廊下は秋田杉、年輪が1mmの正目です。これも凄いですね。柱は木曾の桧(ひのき)ですべすべしています。三間の長押(なげし)、障子の板も秋田杉で、110年経っても隙間がありません。全部本物、一流の材料を使っています。
縁側に手すりがあります。大観荘の上、山の中腹に建てられ、そこから海を眺めるために手すりがつけられました。能登町真脇からイルカを10数匹捕獲して七尾湾に持ってきて泳がせました。
この御便殿は、和倉温泉合資会社の前身、和倉鉱泉営業組合が建てました。和倉の人の心意気を示すものです。そのお陰で、今に現存することが出来たのですね。
明治42年9月27日、皇太子は12時に和倉に入り、2時間滞在しています。昼食をとり、お風呂に入り、14時に湯元を通り帰られました。
珠洲から小学生1000人、鳳至から小学生2000人を集め、七尾市内のお寺に宿泊させて、当日は袴をはかせお迎えしたそうです。
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