難攻不落の山城 七尾城跡を散策!
5月初旬、七尾城跡を散策してきました!天候に恵まれ、山の空気がとても心地よかったです♪
七尾城跡は、能登国の守護・畠山氏が16世紀前半に築いた城跡で、全国でも屈指の規模を有します。
山全体を使った巨大な山城で、能登の政治・文化の拠点として機能していました。
本丸北駐車場に車を停めて、散策スタートです!
昨年整備され、歩きやすくチップが敷かれた道を進むと調度丸跡が見えてきます。
弓矢などの武具を整えた場所で、多数の出土品が発見されています。
五段に組まれた野面積みの石垣がある桜馬場跡は、軍馬の調練を行った馬場などと言われています。
横幅が九尺(約2.7m)あることからその名がついたとされる九尺石。城を鎮護する要石です!
城内最大の石材による石垣をそなえた格式高い出入口で七尾城跡を代表する遺構の1つです。
畠山氏が守護の権力を誇示するために構築したのではないかと考えられています。
緩やかな坂道を上ると二の丸跡があります。本丸に次ぐ第二の拠点です!
尾根の分岐点に築かれ、周囲をたくさんの曲輪が取り巻いています。
急斜面の長い階段を降り、すぐ横が崖になっている細い道を進んでいくと、三の丸跡です。
南北110m、東西25mあり曲輪の中で最大規模を誇ります!
また少し山道を降りていくと、安寧寺跡(あんねいじあと)が見えてきます。
畠山氏の墓碑や七尾城攻防戦で滅んだ武士たちの慰霊碑などがあります。
途中、開けた場所があり本丸からとはまた違った角度で七尾の街並みが見えました♪
場内の水源で、枯れた事がないという樋の水(とよのみず)もありました。
旧大手道と呼ばれる石段を登って行くと、遊佐屋敷跡があります。
この曲輪は本丸のすぐ西側に接し、七尾城跡の中心部にあることから
城主に次ぐ守護代の地位にあった遊佐氏の屋敷跡と伝えられています。
しかし、この遊佐氏の裏切りにより天正5年上杉謙信によって七尾城は攻め落とされました。
遊佐屋敷跡を通り階段を上ると、野面積みの石垣が見えます。
立派な三段に組まれた石垣を横目にさらに階段を上り、本丸跡に到着です!
あの上杉謙信も絶賛したといわれる眺望は絶景です!七尾の街を一望できます。
畠山氏もここから城下を眺め戦略を練っていたのかと思うと、なんだか感慨深いですね。
ぐるっと1時間ほどかけて散策しましたが、さすがは難攻不落の城。
整備されているといえど、急勾配の階段や石段、足場のよくない所もありました。
七尾城跡に行かれる際は歩き易い靴・服装で城攻めすることをおすすめします!