故郷探訪③ 万葉の集落、七尾市中島町瀬嵐(せらし) 動画あり
桜井町会長にお話を伺いました。何んと言っても、祭り!まず神社に案内して頂きました。
人麻呂社
種子島です。近年まで畑を耕作し、雉の飼育が試みられたりしていましたが、今は荒れ果ててしまっています。
桜井さんも子どもの頃は、畑仕事の手伝いに家族と船で渡っていたそうです。
左、小谷鼻 右、種子島
間の海は水深20m以上と深く、戦時中は、ここに輸送船が停泊し、水兵が在所にミンパクしていたそうです。
今では珍しい、昔からの竹を利用した牡蠣の養殖の棚です。
対岸に、和倉温泉が見えます。
かつてこの丸木舟で刺網やナマコ漁を行なっていました。昭和20年代には七尾湾だけで1000隻以上あったそうですが、その全てが、ここ瀬嵐の在所で造られていました。伝統技法を残すために造られた最後の一艘で、現在は中島の祭り会館に展示してあります。
かつての瀬嵐小学校の校舎
瀬嵐小学校が開校してから統合による閉校までの卒業生の写真が大切に掲げられていました。
校舎跡に宿泊施設、万葉の里倶楽部が建てられましたが、現在は水耕栽培の研究施設になっているようです。
瀬嵐からは都会へ出て成功した人が多数いますが、その中の一人圓山さんは故郷のために多大な貢献をしています。そんな功績に対して銅像が建てられました。
住む人も、出た人も祭りへの思い入れは熱く、関東瀬嵐会も結成されて、祭り道具の全てが寄贈されています。
越中守大友家持が能登巡行の旅に出て、ここを舟で訪れています。種子島の右端に小さく見えるのが机島ですが、万葉集「香島嶺(かしまね)の机の島の小螺(しただみ)をい拾ひ持ち来て・・・」の中の机の島です。
瀬嵐の詳細な記事は