報恩講

11月28日は、親鸞聖人のご命日。
浄土真宗のお寺では開祖親鸞の遺徳を偲び多くの門徒が法話を聞きに集まります。
この時頂く食事をお斎(おとき)と言い、門徒のお母さん方が料理しています。
高齢化により、近年は仕出しやお弁当などでも賄うようになりました。
11月28日は、親鸞聖人のご命日。
浄土真宗のお寺では開祖親鸞の遺徳を偲び多くの門徒が法話を聞きに集まります。
この時頂く食事をお斎(おとき)と言い、門徒のお母さん方が料理しています。
高齢化により、近年は仕出しやお弁当などでも賄うようになりました。
昭和26年12月、御祓川に架けられた日本で最初のプレストコンクリート橋(長生橋)を、
河川改修により撤去することとなり、歩道橋として希望の丘公園に移設再現されました。
建設当時の姿をできるだけ復元し、貴重な土木財産として後世に伝えるものです。
重さ1t、高さ1.5m、七輪百個分です。
珪藻土で作られていて、能登は全国一の埋蔵量を誇ります。
昭和3年に耐火断熱レンガ国産第1号が作られ、後にコンロやカマドも作られました。
昭和30年代には製造会社が20社以上あり、七尾の重要産業として栄えました。
山の寺、日蓮宗の本源山實相寺の裏庭にある樹齢700年の御神木です。
妙蓮大善神とも天狗が住むともいわれ、一生のうちで唯一1回だけ願いが
叶えられると伝えられています。
お寺は1566年に日順上人が開山したと伝えられています。
七尾港の食祭市場横にある検潮所です。
下の円筒の中に海水を導き、波の影響を受けないで潮位を観測しています。
潮の干満は約半日の周期であり、
7月25日の七尾湾の満潮は6時46分と17時30分、干潮は0時20分と11時55分です。
七尾西湾に突き出した自然林にはタブノキやヤブツバキ、モチノキ、ケヤキなど
他にも数種類が混生し、つるや草木も自然の状態を保っており、
古くからのこの辺りの海岸沿いの自然の様子を今に伝えるものとして
極めて貴重な自然林です。
七尾湾岸道路に面する32ホールのグランドゴルフ場。
平成13年に田んぼの改良事業に合わせて造られ8000㎡の広さがあります。
愛好者の皆さんが日々練習に励んでいます。
毎年10月には開設記念大会が盛大に行なわれています。
標高564mの石動山にはかつて36のお寺と三千人の僧侶がいました。
一人の僧が里の娘と恋に落ちますが女人禁制の石動山。
逢瀬を重ねる二人ですが戻る僧とは、この橋でお別れ。
切ない、辛いと未練が残ります。と、みれんぼ橋。
平成17年4月28日、昭和の日にオープン。
広岡館長が40年間に渡って収集したコレクションです。
懐かしいと大人は感激し、珍しさと新鮮さに若い人は驚きます。
約1万点が常設展示され、昭和の街並や玩具が勢揃いして見所満載です。
湯川に一対の夫婦榎がありました。
追っ手を逃れた侍大将がこの地に逃れひっそり暮していましたが、見つかり殺害されてしまいました。
村人が手厚く葬りその上に榎を植えたのです。
今は道路工事により一本の株を残して奉っています。
大田火力発電所の温排水口の周りが釣り広場として開放されています。
排水口からの流れが強く渦を巻いています。
クロダイやメジナが良く釣れ、太公望が集るスポットで常連も多いです。
今年は発電所業務の為、7月31日まで臨時閉鎖となります。
江曽川の上流の山に真っ二つに割れた巨石があります。
割れた面がまっすぐでみごとです。片方は山の下にあります。
その昔、弁慶がこの地を通りかかった時、山の神にどれほどの力持ちかとからかわれ、
怒った弁慶が大長刀で割ったと伝わっています。
山の寺の休嶽山長齢寺にあります。
利家は天正9年10月能登23万石の国持ち大名となったことで七尾に両親のお墓を作りました。
父は名古屋で、母は岐阜で亡くなっています。
利家は45歳から1年半七尾で暮らし、金沢へ移りました。
崎山川の中から涌き出る源泉です。湯川町の町名の由来となっています。
北陸では珍しい天然ラドン含有温泉で火傷などの皮膚病に効果があるといわれ、
江戸時代には湯治場として多くの人が訪れていました。
現在は龍王閣で入浴することができます。
三室町に平成17年7月に完成。液化石油ガスが備蓄されています。
ほとんど輸入に頼る日本は湾岸戦争を機に、備蓄施設の建設が始まりました。
高さ45m、直径60m、容量5万トンの低温タンクが5基建設されています。
全国で1番最初に建設された基地です。
鎌倉以前からの古刹で天台宗、臨済宗曹洞宗と移り変わりました。
畠山五代藩主の次男が住職を務めた時もあります。
上杉の侵攻で廃尽に期しますが幸いにも秘宝の千手観音だけが
戦禍を免れ国指定重要文化財になっています。
前田利家の祈願所でもありました。
昔は海の入り江でしたが、防湖水門が出来てから、
海水と淡水の汽水湖になり、今では完全な淡水湖です。
一周約4、4kmあり、毎年鯉の稚魚とワカサギの卵を放流します。
かつて赤浦の祭りでは真紅の旗を立て神輿船と囃子船で潟を回りました。
江戸時代の口能登地方の標準的農家で入母屋平入り造りの合掌茅葺の建物。
昭和46年に国の重要文化財に指定されています。
昭和54年に座主家当主に月光観音のお告げあり「病の治る水」藤瀬の霊水が発見されました。
昭和30年代自衛隊により後畠町の原野を開き作られました。
平成15年に全天候型グランドに改修し判定カメラも備え日本陸連公認競技場となり、
平成19年に北陸マスターズ陸上選手権が開催され女子800mで公認の日本新記録が出ています。
大森玉木(たまき)氏は明治19年直津に生まれ、衆議院議員を6期勤めました。
東京浅草で玉木座を開き、七尾府中町にも玉木座を旗揚げ市民に憩いの場をもたらしました。
病院建設に多額の寄付をするなど尽力し名誉市民の称号が贈られています。