こみみかわら版バックナンバー

能登駅伝


優勝!七尾Aチーム!


落ヶ滝の不動尊


大谷川の源流、城山の奥深くにある20mの滝。その急峻な山肌に掘られた祠に安置された不動明王。
大正14年ここで雨乞いの神事を行うと雨が降り、そのお礼に安置しました。

今は古城の真舘家と城山を愛する会、妙観院とで毎年法要を行っています。


赤ちゃん教室SEA*シー

高間 智香(たかま ちか)さん

32才 B型

我が子にしっかり関わってあげられているのかな?と悩む中でベビーマッサージに出会いました。 目を見て話しかけマッサージをすると、生後2ヶ月の子がとても気持ち良さそうになり、私も癒やされました。

上の2才と5才の子にも、してあげると大喜び。 私自身の心にゆとりができ、家族の絆も深まりました。 子育てが楽しくなったベビーマッサージを、多くのママにお伝え出来ればと、講師になりました。



住 所:七尾市古府町へ42

お電話:0767-58-6068


はい!社長です-リトル ピクニック


リトル ピクニック  矢原 稔(やはら みのる)さん 59才 B型

アメリカで25年間暮らしていました。
東京が故郷ですが、のんびり暮らしたくて七尾へ移住を決めました。

仕事で全米を車で走っていた頃のダイナー(定食屋)の味を提供しようと、1年前にトレーラーハウスの店を開店しました。 店内に入るとアメリカ合衆国(笑)。 ハンバーガーやランチ、ワッフルなどで、たまにはアメリカを旅する気分で、非日常を味わって頂ければと思っています。

住 所:七尾市和倉町ヨ部17番11
お電話:0767-57-5559


鹿西高校 野球部


梶先生の指導のもと15名で甲子園出場を目指して活動しています。各自が練習や戦術を考えて
全員でチームを引っ張っています。

いつも支えてくださっている地域の方々への感謝の気持ちを忘れず、 多くの方に愛され、
応援されるチームになるためにも、日々の生活やゴミ拾いなど野球以外のことにも向上心を
もって取り組んでいます。

野球部監督教諭 梶 大士先生

野球部部長教諭 羽部 大輔先生


第154回 七尾市神明町


在所名の由来

安土桃山時代に建てられた神明神社が現在の興能信用金庫付近にあったんだ。この辺りは府中のはずれ、矢田郷村、所口村の境で一帯は田畑か未開の土地だった所だよ。畠山義綱の書状にも神明之地を占拠したが反撃にあったと書いてあるのは、この辺りのことだと思うよ。

明治42年発行の七尾町図には、ここは矢田郷村の田んぼでまだ町は無いけど、大手町通りの一番端に神明神社と記載されていて、当時から「神明さん、神明さん」と呼ばれ親しまれていたようだよ。昭和25年の新市制の町名変更で神明さんのある町として神明町が誕生したんだね。神明神社は明治6年に松尾神社と改称し、昭和46年に所口町に移転しているんだ。

昔の在所

大正14年に七尾駅が今の場所に来たけど昭和の始めはまだ寂しい場所でね、ここに嫁いできた娘は、こんな恐ろしい所に嫁に来たと言っていたくらいなんだ。流れていた川はきれいでね、フナ、どじょう、うなぎも獲れたしイサザまで上がってきたんだ。

昭和20年代にバスターミナルやグンゼの織物工場も建ち、ローラースケート場まであったんだよ。グンゼの工場は2階が養蚕で絹糸を紡いでいたけど、そこの高い煙突に登って怒られた思い出があるよ(笑)。昭和30年代からの高度成長期が始まり、映画館のオリオン劇場がオープンし、割烹秀よし、純喫茶エンゼルなど飲食店や医院も並んで、七尾の玄関口、政治経済の中心地になっていったんだ。私の家も焼きまんじゅうにお菓子や果物など売っていたけど、小売店はどこも午後10時まで店を開けていたよ。一杯飲んだ人たちが、列車やバスの終電まで馴染みの店に顔をだして時間待ちしていくんだよ。

現在の在所

ミナクルが建って垢抜けた感じもするけど、町会としては65歳以上が半分以上、冠婚葬祭を互助できない限界集落だよ。未開の寂しい場所が、七尾一の繁華街になったと思ったら限界集落の要件を満たし、短い歴史の中で栄枯衰勢を体験してきた町だね。

ここで暮らしてきたから感じるんだけど、七尾は駅前を核に中心市街地と連動する超コンパクトシティーを早く形成させなければならんと思うよ。ますます高齢化が進む時代にどう暮らすのか、市全体でビジョンを掲げて町を再生させないと、どうにもならんよね。

あきこの一言

栄枯衰勢は世の習い。
時代の中で知恵を出し生き抜く


第98回 私の仕事は『空手師範』です。


仕事歴12年  吉村 裕さん 54歳

人生の転機

武道家らしくしろ!その一言が弓道師範である父の教育方針でした。御祓中では剣道一筋、七尾では剣道とケンカで負け知らずでした。ケンカと言っても正義感からですよ(笑)。

星稜高1年の時、自分の力がどれほどかと極真会館七尾道場に入門しました。先に入門していた同級生がいたのですが勝てません。その同級生に勝つことを目標に真剣に稽古し高2で極真石川県大会優勝。高3で極真北信越大会ベスト4、極真全日本選手権に最年少出場で3回戦まで進みました。極真は実戦空手で突きと蹴で相手を打撃するので常に恐怖との戦いでした。

高校を卒業してのとしんに勤めますが24歳の北信越大会が人生の転機になりました。その決勝戦、相手は120㎏の巨漢です。歯が飛び血だらけの戦いになりました。敗れましたがその試合を観ていた佐川急便の役員から声がかかったのです。佐川急便が急成長しており根性とやる気ある人材を求めていたようです。

佐川急便時代

転職すると政界を巻き込むあの東京佐川急便事件が起こります。創業者の佐川清会長が金沢に身を寄せ、私は行員と空手の経歴から佐川会長の秘書兼ボディガードを命じられ24時間体制で4年間仕えました。

佐川会長はいかなる時もドライバーの事を最優先に考えていました。その姿から私も道場生のことを最優先に考えることの大切さを学びました。佐川時代に鳴和道場をしばらく預かる事になった時、母が余命宣告を受けたのです。佐川では待遇も良く仕事も順調だったのでかなり迷いましたが、長男として母の余命に寄り添うことを決め退職しました。



細やかに指導

武奨館創設

母が亡くなり空手で生きると決意し鳴和道場を正式に引継ぎました。一昔前は大人の世界だった極真がこの時8割がジュニアでした。私は子どもを教えた経験が無く本当に悩み、各大会に足を運び全国の強豪道場がどんな指導をしているのか目で見て、肌で感じ、自分に落とし込みました。不思議な事に何の策も無く、ただ一生懸命にやっているといつしか道場生が増えていったのです。

空手甲子園と言われ本当にレベルの高いJKJO全日本ジュニア空手道選手権大会で入賞者を出す事を目標にし、6年目で準優勝者が出た時は嬉しかったです。そして3年前ついに優勝者が出てこれからと言う時、予期せぬ事から極真会館と袂を分かつことになりJKJOの大会に出場できなくなりました。この時も道場生のことを最優先に考え各道場を回り保護者に説明し判断を委ねました。

しかし誰一人辞めませんでした。私は頑張らないとならない!と強く決意し2年前に武奨館を旗揚げしました。その後も入門者が増え続け石川富山で13道場、門下生が350名になりました。今は誤解も解け昨年からJKJO北陸地区とWKO北陸ブロックの代表に就任しフルコンタクト空手全体を見る立場です。

七尾道場から昨年10月のIBKO第9回全日本空手道選手権大会一般男子軽量級で20歳の外谷由河君が優勝しました。外谷君も幼稚園から空手を始めていますが、私は一人一人の変化を見逃さずに指導します。礼儀礼節の徹底、気合いを入れた返事や挨拶は稽古以前の問題として教え、稽古で苦しい時でも諦めず継続する大切さを教えます。

苦しんでいる仲間がいれば手を差し伸べ心から応援する。そうする事で自分が苦しい時、周りが助けてくれるのです。一人一人の心技体、その成長を見ることが何より嬉しいのです。



七尾道場門下生

武奨館 吉村道場 ☎ 076-225-3520


七尾市田鶴浜町【日和ヶ丘カルチャーパーク】


図書館、研修室、多目的ホールの『サンビーム日和が丘』やグラウンド、公園もあって、遊休・自然との体験・ふれあい・憩い空間の「日和ヶ丘カルチャーパーク」私のお気に入りスポットです!


北陸銀行七尾支店

林 泰生(はやし たいせい)さん

25才 O型

「故郷である北陸に貢献したい」「お金の事をしっかり学んで周りの人の力になりたい」との思いから
、銀行員となり4年がたちました。

経済知識や法律など勉強すべき事も多く挫けそうな時もありましたが、お客様のお言葉や職場の同僚
に支えて頂き、少しずつ成長する事ができたかなと思います。

札幌から七尾に来て1年がたち、これからは能登の皆様に恩返しができるよう走り回ります!



住 所:七尾市一本杉町118番地

お電話:0767-53-2200


はい!社長です-ファイブエイト合同会社


ファイブエイト合同会社 山本 徹彦(やまもと てつひこ)さん 46才 O型


二十歳の頃から建設業に関わり、周りの方々の後押しもあり、今年の9月にファイブエイト合同会社を設立しました。

事業内容は主に土木工事で、擁壁、水路、住宅基礎などなどです。 現在は2人ですが、来春には長男も加わり3人体制になります。

仕事も人材も厳しい業界ですが、支えて下さった方々に恩返しできるよう日々精進し、地域に根差していきたいと思います。 


住 所:中能登町西馬場ハ‐53
お電話:0767-72-2577


第153回 中能登町 能登部上


在所名の由来

鎌倉時代の古文書で能登部村という文字が初めて出てくるようだけど、雨の宮古墳があるから古墳時代から人が住んでいたことは確かだよ。野球部やサッカー部など部とは集団を意味する言葉でね、数軒ずつが点在して暮らしていた時代に、何か目的をもってかなりの人数が集まっていた場所だと思うんだ。

山の頂上にあれだけ大きな古墳があるから、当時能登を支配していた王がいたと想像できるので、かつてここが能登の中心地で多くの民が暮らしていたのではないかと思っているんだよ。

雨の宮古墳

子どもの頃はあれが古墳だとは知らんかったよ。山のてっぺんに土俵があって毎年8月14日に相撲大会をしていた場所なんだ。その山が前方後方墳で能登最大級の古墳だと言うので驚いたよ。

能登部神社の3代前の宮司で、能登部町史を編纂した清水一布さんが何かを感じられて県に調査を促したんだ。県と明治大学が平成4年から本格調査を始めたら、すでに誰かにほじられていたことがわかったんだ。国の重要文化財になっている神獣鏡など、副葬品まであと数十センチで手が届くところまでほじってあったそうだよ。

今は綺麗に整備されて多くの観光客も訪れているし、14年前から雨の宮を護る会を結成して、毎年古墳まつりを行っているんだ。

在所の今昔

まだ誰も織物に携わっていない明治時代に、当時24歳の丹後徳蔵さんが手織12台の機業場を創設したんだ。幾多の苦労を乗り越えて大きな会社に育て上げ、中能登の繊維産業のパイオニアだよ。そのお屋敷が町に寄贈されていて国の登録有形文化財にも登録されたんだ。今、趣ある通りを文化財にしようと文化庁に申請する準備をしているけど、その要の建物なんだよ。

11月19日の夜、この通りを密かに歩く「ばっこ祭り」があるよ。能登部神社の男神が、隣の西馬場の愛宕神社の女神を迎えに行き、能登部神社奥の院へ連れて入り逢瀬を楽しむんだ。行列は無言で、行列を見た人は目が潰れると言われているから犬が鳴いても人は誰も出てこないよ。足跡から女神を連れていったことがばれないように帰り道はわらじを前後逆さまにして履くけどこれが痛いんだよ。あの痛さは履いた者しかわからんよ(笑)。歴史ある在所なので一丸となって末永く栄えていく努力を続けないとね。

あきこの一言

神がいて、王がいて、民が暮らす
悠久の歴史の中に活かされ、今を生きる。


のと里山里海ミュージアム


能登歴史公園内に完成した博物館。能登の自然の中で育まれた祭りや、
生活様式など、能登ならではの文化歴史に触れる事で、能登に暮らし続
けた能登人の偉大さを改めて確認出来ます。

私達も故郷に誇りを持ち、未来に繋がなければなりませんね。


第39回 「輝け!郷土の星」放送(朗読部門)の畑中 愛さん(七尾高校1年)


11月石川県高校放送コンテスト新人大会朗読の部で優秀賞

66名がエントリーした大会で、金沢泉丘高校、北陸学院高校の生徒と共に優秀賞に選ばれた愛(めぐみ)さん。アナウンス部門では常連の七尾高校放送局ですが、朗読部門での優秀賞受賞は久しぶりです。

学校では全校集会や体育祭などの行事で司会やアナウンスなど行いながら、来年2月の北信越大会、7月のNHK杯、8月の全国総文に向けて練習に励んでいます。

七尾高校放送局

「放送部ではなく放送局なんですよ」と愛さん。全校集会で司会をする先輩の品位に惹かれ放送局に導かれました。入部すると過去の題材でアナウンスと朗読をそれぞれ行い先輩が適正を助言します。アナウンスは自分で取材したエッセンスを原稿にして1分半以内で伝える力が求められます。大変ですが自分の得意なことや個性を表現できます。 朗読は決められた5冊から1冊を選び、どこを読むか決めます。 朗読時間は1分半から2分間、字数で600字から800字くらいです。 愛さんは先輩の助言で朗読部門を選びました。

練習はまず腹式呼吸の会得です。アナウンスも朗読も第一に良い声、通る声でなければなりません。 早口言葉で滑舌のトレーニングをし、NHK日本語発音アクセント辞典で正確なアクセントを覚えます。やさしい言葉、悲しい言葉、それぞれに声色を変え、セリフの文章は感情移入し、セリフでない地の文は感情を入れ過ぎず、さりとて棒読みになってもいけません。 大会では様々な評価項目で点数がつけられます。大会前日は学校のホールで他の部員に聞いてもらい課題を確認し本番に臨みました。



3名が受賞しました。(田渕さん・吉野さん・畑中さん)

将来の夢

自分が? まさか! ビックリしたと言う愛さんです。1年生で受賞とは天性の才能があったに違いないと、顧問の屋敷先生に伺うと 「入部した時はまったくの普通の生徒でしたよ」 とのこと。

5作品の注釈を読み内容を理解した上で、自分の声に合いそうだと感じた宮下奈都さんの「羊と鋼の森」を選びました。何度も読み返すと、自然と口ずさむ感じで筋書きが覚えられたと言います。その中から更に自分に合った部分を抽出して大会に挑みました。「初めての大会なので全力を尽くそうと練習を重ねてきましたが、本番では緊張したことしか覚えていないのです」 と愛さん。「前日の練習では上手くいかない箇所がいくつかあったのに、当日は全部クリアしていたので驚いた」 と屋敷先生。

小学生の時、図書館司書の先生から児童文学作家、岡田淳さんの「小学校のふしぎな話」をテーマにしたファンタジーを薦められ大の読書好きになった愛さんですが、岡田淳さんの本との出合いが夢の出発点になったと言います。 それ以来、 図書館司書になることを夢見て沢山の本を読んできた愛さんだからこそ、 初めて臨んだ大会で体は緊張状態でも、心は落ち着いていたようです。 読書に宿る力と、 愛さんの努力が結び、引き寄せた優秀賞だと思います!



声の妖精 七尾高校放送局員


第152回 能登島町 閨


在所名の由来

昔は閨と無関が一つの村で、室町時代の古文書には禰屋牟関と書かれているようだよ。閨の入り江の中にある鴫島で行者が寝ながら行う心行をしていたんだ。それで臥(ふせ)行者と呼ばれ、その場所には今でも行者が寝ていたと思われる石畳が残っているよ。

鴫島は今陸続きになっているけどそこを行者鼻と呼んでいるんだ。行者が寝て修業していたので寝屋とも呼ばれ在所名の由来になったようだね。

昔の在所

島八太郎の一人で水蔵右衛門という人が閨にいたようだよ。子孫は残っていないけどね。元の在所はフィッシングパーク辺りにあったと聞いているけど江戸中期以降に今の漁港のある場所に移ったと思われるんだ。それは閨には古屋八郎兵衛と和田磯五郎の二名が流刑されているけど、今の場所に一番先に入った家が古屋さんだと伝わっているからだよ。

石屋、大工、鍛冶屋、木挽き、桶屋などの職人と半農半漁で暮らしを立ててきた在所でね、昔は鱈漁が盛んで丸木舟を漕いで穴水の近くまで行って漁をして船一杯にして帰ってくるんだ。浜に集まった人がそれを貰って軒下に吊るして干してあった風景が懐かしいよ。

松茸もよく採れてね、在所の松茸山は青年団が管理して山ごと入札するんだ。それが若い衆の収入源で北海道や九州に一週間旅行に行っていた時代もあったよ(笑)。雑苔でも採るように竹かごに一杯採れた松茸は味噌漬けにして、干した鱈とが弁当のおかずだったけど最高だったなぁ…。

各家には田んぼを耕す牛を飼っていてね、子どもは朝と学校から帰ってから餌の草刈りが日課だったよ。これをやらないと青柏祭や明治節に七尾へ出かける小遣いが貰えないんだ。七尾で山藤のうどんを食べるのが楽しみだったよ。

現在の在所

ゴルフ場が出来たり、別荘地が出来たり、道も良くなって働きに出て現金収入を得ることも出来るけど、あくせく働かなくてはならない時代にもなったね。

あぜ道を歩いて学校に通っていた子どもの頃のあのチベットのような情景が懐かしいね。にぐ縄を編んでわずかな現金収入を得て支払いは盆暮れのあんな時代に戻れば良いと思うこともあるんだ。そうは言っても前向きに進まないことにはね(笑)。

今在所では耕作放棄地をこれ以上増やさないためにも圃場整備を進めようと話が進んでいる所だよ。

あきこの一言

鴫島に残る史跡と豊かな自然。
人良し、空気良し、水も良し。


日本一小さな茶室


城山の懐古館前にある茶室。汽船会社で一代を築いた市内旧樋爪家の
庭園にあったもので大正末期に京都高台寺の傘亭を手本に造られました。

亭主は、かなりの腕前でないと点前が務まらないと言われる半畳台目、
逆勝手の造りで、日本最小の茶室です。


ダシの三幸(さんこう)

谷上 奈鶴子(たにがみ なつこ)さん 

34才

創業61年を迎えるだしパックの製造会社が、初めて店頭販売することになり
今年3月にオープンしました。 回転寿司での接客経験もありましたが最初は
戸惑いました。それは試飲してもらわないと美味しさを伝える事が出来ない
からです! なので積極的にお声かけをしています。

最近は外国人も多く、「フィッシュスープ ! NO.1!」とジェスチャーを
交えて話しかけ、試飲してもらっています(笑)



住 所:府中町食祭市場1階

お電話:0767-58-6158


鵬学園 サッカー部


サッカー部では練習だけでなく、礼儀礼節など人としての基本も大切にしています。
そのおかげで部員は私生活においても礼儀正しくなります。

個人的にはプロになる夢を叶えるため、朝練夜練と欠かさず全力で取り組みました。
サッカーで自主性が身につき、何事も高い意識で継続すれば必ず成長できることを
学びました。(輪嶋 拓海)

顧問 赤地信彦先生


はい!社長です-磯野工業


磯野工業 磯野 大介(いその だいすけ)さん 41才 O型


建築測量、墨だしの会社を設立して10年。ゼネコンや工務店などの他種多様な施主様のご要望にお応え出来る様に社員共々、常に最先端の技術を極めながらスキルの向上を目指しています。

仕事を通じて人と人のつながりの大切さを日々実感しております。
出会いに感謝しその方々から多くを学ばせて頂き、一人の人間としても成長をしていけたらと思っています。


住 所:七尾市神明町ロ2-7
お電話:0767-53-7088