こみみかわら版バックナンバー

温故知新(第3回)でか山 人形師 安井吉成さん


かつて港の近くに七尾劇場があった。その舞台大工が祖父の安井武二郎、魚町の人形師だった。父、安井武次も人形師として活躍。一時期魚町、府中町、鍛冶町全ての舞台と人形を手がけた。当時、石川県で唯一の地域伝統芸能大賞受賞者だった。今、3代目として、安井吉成さんが魚町と鍛冶町の舞台を手がけている。

七尾でか山工房

昨年ユネスコ無形文化遺産に登録された青柏祭。今年は注目を集めるだろうから、誰もが知る出し物が良いと正月から案を練る。来年山王神社が1300年を迎え第二鳥居を建てるのに因み鍛冶町は義経千本桜、伏見稲荷鳥居前の場に、そして魚町は太閤記の本能寺の場を提案した。2月山町が総会で決議、引渡しの儀を行った。ここから舞台と人形に全責任を負う。予算内で見栄えの良い舞台を作り上げることも人形師の腕前だ。組立図を作ると必要な部材が見えてくる。過去の部材も再活用するがまさに大工仕事だ。お姫様の生地とかんざしは京都に買出しに行く。父の代から付き合いある古着屋を3軒回って端切れや古着を調達してきた。それを裁断し着物を仕立てる。今年は鎧兜も作った。郡町にあるでか山工房では張子さんと呼ばれる4名のお母さん方が舞台道具に下地の紙を張っていく。皆10年以上手伝うベテランだ。



父の言葉

山車は骨組みの段階を「地山」、むしろを巻いて「むしろ山」、飾り付けをして「でか山」となる。父が「地山」の模型を作れと言った意味が今更ながら分かると言う。それは左右に突き出すとんがり棒と九段と言われる背の横棒を藤つるで縛ってあるが、その位置や縛り加減までも頭に入っていないと舞台が上手く納められず手直しが発生するからだ。昔は山車を組むのは全て人力だった。今はクレーン車を使って組立てが進む。しかし出来た山車に違いがあることが舞台を作っていて分かるという。昔は数人の熟練した人達が組立てに時間をかけ、細かな加減を熟知して仕上げていたので地山の骨組みが頑丈だったという。その違いは微妙だが揺れに現れる。その微妙な揺れのため舞台の構造を変えなければならなくなった。昔は地山と舞台が融合していたが、今は合体させている感じだと笑う。これも時の流れだと舞台づくりの方を改善している。



人形見

5月2日午後6時から人形のお披露目である。昔は婚礼や新築した家が人形宿を申し出て、見物に訪れた人に酒を振舞った時代もあったが、今はでか山連町が交替で宿を手当てする。構想を練り、設計図を引き、大工仕事をし、着物を仕立てる。舞台を作り、人形を飾る。当日は見廻り、何かあれば修繕をする。これが人形師の仕事だ。子どもの頃から父を手伝ってきて最近思うことがある。壮大な祭りの本当の技と心意気を持った人が少なくなった。青柏祭全体として技と心をどう継承すべきか、ユネスコに登録された今だからこそ危惧すると言う。人形師とて同じだ。代々続く人形師、長男崇司さんも手伝っているが世襲制ではない。山町に認められた者が人形師となる。最近まで山の伝統を守らなければと思っていたが、今は、自分自身が山に守られ、山に育てられたと思える。そう語った人形師。いい顔で仕事をしていた。



温故知新(第2回)古代米アート 山田重隆さん


毎年9月初旬、藤橋町の1枚の田んぼに絵が現れる。新聞、雑誌、テレビと多くのメディアが集まり取材を受けるのは山田重隆さん。単にアートではなく、本宮のもり幼保園の園児たちに種まき、田植え、草取り、お披露目、稲刈り、はざ掛け、脱穀、餅つきと、年間を通した体験学習である。18年目を迎える今年はどんな絵が現れるのだろうか。

本宮神社の神事

山田家は代々、3月21日の「おいで祭」、11月13日の「千座祭」、12月13日の「鵜祭」神事のお供え物の一つ「根付きの稲穂」を献上する役目がある。千座祭と鵜祭に献上した稲穂は神事の後、拝殿にて1年間吊るされる。父から引継いだ時、山田さんはより青々とした稲穂を献上しようと思い、収穫を遅らせるため、田植えも遅らせた。だが稲は丈も短く貧相なものだった。何か方法はないかと聞き調べ古代米にたどり着く。栽培のマニュアルはなく、全て手探りだった。田んぼを波板トタンで仕切り、何種類もの種を植え、肥料の量も変えながら研究を続けてきた。スタートは赤米、黒米の2種で日の丸のようなものが出来た。絵のテーマにあった色を出すため現在は7品種に増えた。それぞれの稲の色、実る時期、背丈を全て計算し、気候、発育状況などを見ながら手入れを重ねる。今でも経験と勘が頼りである。



藤橋早乙女会

古代には農薬など無かった。そこにこだわった山田さんは完全無農薬で栽培する。そんな姿を見ていた近所の農家のお母さん方が「あんちゃん、手伝おうか」と声を掛けてくれた。ボランティアの藤橋早乙女会が発足した。草が生え、藻が付き、浮草が覆う。草取りだけでも3回以上。どじょうが棲み、それを狙ったカモが来て稲を倒す。目が離せない。品種ごとに成長が違い肥料も難しい。アートは曲線である、どの苗をどこに正しく植えるか、これは早乙女会でしか出来ない技となった。本当に大変な作業を続けてもらっている。古代米アートを通し強い絆で結ばれ、普通の田んぼでも助け合うようになった。結(ゆい)の復活である。



農に親しみ、恵みに感謝

野菜がスーパーに採れると言う子供がいると聞いた山田さん、古代米を通じて子供達に農に親しんで、土の暖かさを知ってもらおうと、今では市内6箇所の園児たちに脱穀や餅つきの体験学習に出向いている。最初の頃は、稲刈り前日に少し稲を刈り、そこにベニヤ板を敷き、怪我をさせられないと気を使った。近年、本宮の園児たちは自分で種を蒔き、自分の苗を植える。そうすることで一段と意識が違った。裸足で田んぼに入り草を取る。鎌で稲を刈り、はざに掛け、石鎌で脱穀を体験する。この子たちが恵みに感謝することを知り、心豊かに成長してほしいと願う山田さん。そんな成長が楽しみで山田さんも早乙女会も頑張れるのである。「私も、早乙女も齢をとった。こんなバカな事をやる人はいないと思うけど、もし、いるんだったら全てを伝えたいと思う」そんな言葉を耳にして帰路につく。
七尾にこんな総合芸術があることを誇りに思い、目頭が熱くなった。 秋が待ち遠しい。



温故知新 この人に聞く(第1回) 能登よさこい祭り 田尻正志さん


今年、第20回を迎えた能登よさこい祭り、和倉の街に県内外から64チーム、2000人が集まった。宿泊客も1200人を超え、地元七尾から17チームが参加し盛り上がりを見せた。よさこいは高知県が本場である。なぜ和倉によさこい祭り始まったのか、20年の節目、能登よさこい祭りを立ち上げた田尻虎蔵商店の田尻正志さんにお話を伺った。

和倉かいかい祭り

温泉街の賑わい創出として50年前に立ち上げたイベント祭である。30年間続いたが、神が宿る祭りではない。住民の祭りなのか、観光の祭りなのか、常に議論があった。ちょうちん行列、和倉音頭、珠洲実高のブラスバンドなど。オープンカーにミス丸亀を乗せて町内を回った時、沿道は100人にも満たなかった。これではと当時和倉温泉観光協会の小田禎彦会長から「もっと盛り上がる祭りにしてほしい」と指示が出た。田尻さんは全国の祭り、イベントを調べた。これは面白いと直感したのが、高知のよさこい祭りだった。高知市が不景気を吹き飛ばし、市民を元気づけようと、1954年にお座敷の「よさこい踊り」を街踊りに改良したのが始まりだという。そして踊り子派遣や指導など「よさこい出前事業」を始めていた。「よさこい」が全国的に広がる兆しが出始めた頃である。高知市の支援を得るため、出前事業の申請書を作成し高知まで出向くと担当者が驚いた。全国から多くの申請があるが、わざわざ出向いて来たのはあなたが初めてだ。田尻さんの熱意で和倉が採択された。高知市は500万円の年間予算から100万円を支援した。それも2年間続けてだ。本場高知の支援があって、今があることを忘れてはならない。



能登yosakoiかいかい祭in和倉

テレビビデオを持って各種団体を回った。和倉音頭をアップテンポに編曲し、高知の踊りを見せて説明するが、なかなか理解が得られない。まず参加チームを作る事に苦労した。加賀屋の小田社長が、「田尻、お前いったい何をやるつもりだ。若い連中がモタモタになっとるがい!」と言われるので、「今回だけ、とにかく参加してくれませんか」と頼み込んだ。市役所青年部も乗る気がない中「田尻心配するな、一本釣りで何とかするわい」と商工観光課長の向田さんが言ってくれた。そして、のとしん、和倉商人連、和倉保育園、七尾剣道教室、御宿連、東町町内会、高知学生チーム、カンガルーキッズ、10チーム、400人が参加することになった。高知から法被を借り、鳴子の持ち方、振り付けを指導してもらい、源泉前から小泉酒店まで地方(じかた)車を前進させ、踊りが終わるとバックで戻り、次のチームが踊った。わくわく広場もまだ土盛りのステージだった。こうして日本海側で初のよさこい祭りが開催された。

能登よさこい祭り



「よさこいは、決まり事は少なく、衣装、踊り方、選曲、自由度が高いことが魅力なんだ」と田尻さん。
暮らす人も観光客も楽しめる、そんな能登よさこい祭りを末永く続けるため、現在は連絡協議会が 作られ石崎町の赤坂会長を中心に多くのスタッフが面倒を見てくれている。
「でっかい祭りになった」と感慨深く海を見つめる田尻さん。街を興すとき、若者か、よそ者か、バカ者の力が必要だと言われるが、当時40代の田尻さんは若者でもない。和倉に生まれ育ち住んでいる。
ただ故郷を想う心が人一倍熱い、バカ者だったに違いない。
田尻さんのような筋金入りの「バカ者」が、今まで以上に必要な時代に入っている。