私の仕事は“一級鋳造技能士”です。
鋳造の仕事とは
鉄やアルミなどを溶かし鋳型に流し込んで機械の部品などを製造します。 橋の銘板も作っています。
きっかけ
私は東京生まれの東京育ちです。
東京で曽祖父、祖父、父親と鋳物を営んできた鋳物屋一家だったので、子供の頃からこの道に入るものだと思い込んでいました。
道のり
大学で金属材料工学を学び、群馬県の鋳物会社へ就職しました。その会社が鹿児島に工場を建設したので、独身の私に白羽の矢が立ち、技師として転属を命じられ、そこで4年間勤務しました。
祖父が亡くなる直前、父に「東京で鋳物工場を続けるより、どこか田舎で工場を建て、そこに順(私)をそろそろ呼び戻したらどうか」と言ったそうです。
祖父は富来町の出身でお墓もそこにあります。家族でお墓参りに来たとき、志賀町の中核工業団地の前をたまたま通りかかり、それならここで工場を建てようということになりました。私の中に能登の血が流れていたのか、それから20年七尾で暮らしています。
仕事の大変さ
私はアルミ鋳造なのですが、アルミは550度から溶け出し、700度~800度の溶けたアルミを扱います。火の前の仕事に輻射熱が加わるなか、夏でも長袖の作業服です。
工場から一歩外に出れば、真夏でも涼しく感じてしまいます。(笑)
意外な話
少量多品種の機械の部品をつくりますが、形が単純なものはありません。
まずアルミを流す砂型をつくるため、何種類もの木型が必要です。それを積木のように合わせたり、組換えたりして複雑な形の砂型を作っていきます。そうして作った砂型は、アルミ鋳造品を取出すとき、壊さなければなりません。
仕事の喜び
昔は「鋳物は巣が出来て当たり前」だったのですが、今は許されません。
勢いよく流すと空気を巻き込み、ゆっくり流すと固まってしまいます。
二人の作業で「ハイ!」「せいの!」と呼吸を合わせて仕上げていきますが、形となって現れたときは嬉しいものです。アルミは溶けているときもキラキラ輝やいています。工場に夕日が差し込みアルミと溶け合ったとき、何とも言えない幻想的な感動を覚えます。
未来
どんどん機械化が進む時代ですが、その機械の部品は手作りです。職人の誇りをもって常に良いものを作るよう努力しています。
この夏休みに子供たちを集めてアルミの置物を作る体験をしてもらいました。私が子供のとき、親の手伝いをして覚えた感動を、子供たちに知ってもらい、大変な仕事ではありますが、後に引き継いでもらいたいと思っています。