こみみかわら版バックナンバー

第62回 七尾市黒崎町

244 七尾市黒崎町

在所名の由来

ここは灘浦海岸で緩やかに海に出た岬でね、岬の海岸に昔は大きな黒い岩が林立していてね、遠から見ると、岬が黒く見えたそうで、黒い岬、黒崎になったと伝わっているよ。

昔の黒崎

昔の集落は熊淵川の河口付近だったけ、度重なる氾濫で八百年前に先祖は移住を決め、海の東浜へ、山の熊淵へ、そして現在の集落の中心になっている高台へとそれぞれに移住したんだよ。 高台へ移った八人が「黒崎の八人衆」と、古文書に出てくるよ。 八百年前に、一区画六百坪の土地を八区画も団地造成したというからご先祖様には頭が上がらないよ(笑) 昭和初期まで黒崎の在所が勧進元となり加越能三州の相撲大会が毎年行われていたというくらい豊かな在所でね。 それは産業があったからなんだね。 一つは富山の業者に海岸の大きい黒い岩を削らせ権利収入を得ていたこと。 それと富山の川が氾濫するので竹の蛇籠を作り、大きな船で出荷していたんだよ。 また、黒崎の山にだけ火打石の地層があるんだけど、その下がマンガンでね、大正時代に採掘していたんだよ。 瓦の塗料や火薬の原材料に使ったらしいよ。 採掘の立て穴を「ゴス穴」と言ってまだ残っているよ。 また、七尾城に通じる「殿様道」があるので、仲間と調査してみたんだが、原型があるところは一部でね。それでも川の平場の謎の三角印や、山の平場の謎の穴など想像をかきたてられるよ。

これから

在所と一緒に避難訓練をしてきた有磯小学校が今年併合される見通しだし、過疎化が進む一方だけど、昔からの資源を蘇らせていくことが地域再生の要だと思うよ。畠山文化は一流であり、前田様は中納言で、畠山様は大納言なんだから、七尾はもっと畠山や城山に目を向けないとね。