こみみかわら版バックナンバー

第39回 中島町長浦

221中島町長浦

長浦の由来

浦って言うのは、海が陸地に入り込んだ海岸を意味するらしいね。海岸線が長い在所なので地名になったんじゃないかなぁ。

長浦の昔と今

昔はもっと活気のある在所やったよ。 50年くらい前までは、七尾府中の波止場から宇出津まで定期航路が通っていてね。 府中・半浦・長浦・三ヶ地区・宇出津と結んで海上交通の要になっていて、私も中学生くらいまでは七尾へ行くのに、鉄道を使わず船で行っとったよ。乗船客がいるときは赤い旗を立てて寄ってもらうんだよ。 それとは別に、長浦の渡し舟といって、明治時代から能登島の通地区へ舟で渡していたんだけど、ツインブリッジが完成してからは、もっぱら釣り客専用になっているよ。 当時は花嫁を乗せたり、急病人など天気や時間に関係なく渡すなど重要な役割をしとったね。 生活は、半農半漁と瓦工場で賑わっていたね。長浦には瓦の土が出たので、その工場に働きに各地から人が集まっていたんだよ。 畑ではサツマイモを栽培しては船で出荷していたし、多くの家で天草やエゴを取って海岸辺りに干していたから、在所の中は磯の香でいっぱいだったよ。 半世紀とは、いろんなことが変わっていくんだね。 今は、ツインブリッジの袂たもとのうるおい公園に観光客も立寄るし、環境美化を町会一丸となって整備していこうと話し合いしているよ。 時代が変わっても、風光明媚なこの長浦は本当にいい在所だと思っているよ。 少子高齢化は避けられないが、郷土を愛する心はずーっと繋いでいかないとね。 万葉の里マラソンで、町会内を選手が走るので、壮年団・女性会・実年会とで手作りの垂れ幕を作ったよ。 少しでも選手の力になれたらと思ってね!