こみみかわら版バックナンバー

第85回 田鶴浜 伊久留町


町名の由来


諸説あるけど、元は山中村で、奈良時代に能登国が制定された時に、
「伊勢の国より大神宮祀り奉り、神明と称し山中村に鎮座し奉る。
是より山中村を伊久留と称し、伊久留と書く」と古文書に書いてあるんだ。
伊勢の神が、久しく、留まるという意味で、その神明社はとても由緒ある大きな神社だったんだ。

明治四十一年に合祀され今は御神体は無いけど、境内の大杉、
目の病気が治るという神明の水が今も湧き出ていて霊験あらたかに感じるよ。


昔の伊久留


村でね、役場、駐在所、保育所に小学校、消防と診療所もあった中心地だったんだ。
機場も四十軒くらいあって、住民の半数が機場に関係していたよ。
今は公共施設は無く機場も四軒。時代と共に移ろっていくよ。

集落と平行して田んぼがあるけど、ここに長さ約1kmの飛行場があったんだ。
昭和二十年に二ヶ月間の突貫工事で作ったんだ。
海軍の兵隊や予科練生など約六百名が在所に入って、向かいの山から土砂を出し、
田植えの終わった田んぼを埋め立てたんだ。滑走路は杉の板敷きでね。
学校やお寺、民家も宿泊所になってね。
完成し一番機が飛来するという日に終戦となり、幻の相馬飛行場となったんだ。
その一部は小学校のグランドとして利用したけど、
埋めた土砂を全部出してすぐに田んぼに戻し翌年には
田植えをしたというから、みんな生きるのに必死だったんだね。


在所の自慢


亀石があるよ。大きな自然の石で本当に亀そっくりだよ。
この亀石以外に在所には山にも畑にも自然の石が無いんだ。
昔、弘法大師がこの在所に寄った時、石につまづいて、それで
「この村から石が無くなれ」と杖で三回地面を突つかれたので
無くなったという話が伝わっているよ。

それだけに亀石は伊久留の象徴で相馬小学校の校歌にも歌われていたよ。
三十代~六十代のグリーンファーム+196(いくろ)が
耕作放棄地でひまわりやコスモスを植えているんだ。
公民館と一緒に「そうま収穫祭」や「紙飛行機大会」など企画運営して
老若男女みんなで盛り上がっているよ。
十年後の伊久留を見据えて皆笑顔で頑張っていきたいと思ってね(笑)


かなこの一言


伝統行事を大切にし、新しい取組も在所が一丸となって取組んでいます。
町会長さんは一年間に紋付羽織袴を6回も着るそうです(笑)