温故知新(第2回)古代米アート 山田重隆さん
毎年9月初旬、藤橋町の1枚の田んぼに絵が現れる。新聞、雑誌、テレビと多くのメディアが集まり取材を受けるのは山田重隆さん。
単にアートではなく、本宮のもり幼保園の園児たちに種まき、田植え、草取り、お披露目、稲刈り、はざ掛け、脱穀、餅つきと、年間を通した体験学習である。18年目を迎える今年はどんな絵が現れるのだろうか。
本宮神社の神事
山田家は代々、3月21日の「おいで祭」、11月13日の「千座祭」、12月13日の「鵜祭」神事のお供え物の一つ「根付きの稲穂」を献上する役目がある。千座祭と鵜祭に献上した稲穂は神事の後、拝殿にて1年間吊るされる。
父から引継いだ時、山田さんはより青々とした稲穂を献上しようと思い、収穫を遅らせるため、田植えも遅らせた。だが稲は丈も短く貧相なものだった。何か方法はないかと聞き調べ古代米にたどり着く。栽培のマニュアルはなく、全て手探りだった。田んぼを波板トタンで仕切り、何種類もの種を植え、肥料の量も変えながら研究を続けてきた。
スタートは赤米、黒米の2種で日の丸のようなものが出来た。絵のテーマにあった色を出すため現在は7品種に増えた。それぞれの稲の色、実る時期、背丈を全て計算し、気候、発育状況などを見ながら手入れを重ねる。今でも経験と勘が頼りである。
藤橋早乙女会
古代には農薬など無かった。そこにこだわった山田さんは完全無農薬で栽培する。そんな姿を見ていた近所の農家のお母さん方が「あんちゃん、手伝おうか」と声を掛けてくれた。ボランティアの藤橋早乙女会が発足した。草が生え、藻が付き、浮草が覆う。草取りだけでも3回以上。どじょうが棲み、それを狙ったカモが来て稲を倒す。目が離せない。品種ごとに成長が違い肥料も難しい。
アートは曲線である、どの苗をどこに正しく植えるか、これは早乙女会でしか出来ない技となった。本当に大変な作業を続けてもらっている。古代米アートを通し強い絆で結ばれ、普通の田んぼでも助け合うようになった。結(ゆい)の復活である。
農に親しみ、恵みに感謝
野菜がスーパーに採れると言う子供がいると聞いた山田さん、古代米を通じて子供達に農に親しんで、土の暖かさを知ってもらおうと、今では市内6箇所の園児たちに脱穀や餅つきの体験学習に出向いている。
最初の頃は、稲刈り前日に少し稲を刈り、そこにベニヤ板を敷き、怪我をさせられないと気を使った。近年、本宮の園児たちは自分で種を蒔き、自分の苗を植える。そうすることで一段と意識が違った。裸足で田んぼに入り草を取る。鎌で稲を刈り、はざに掛け、石鎌で脱穀を体験する。この子たちが恵みに感謝することを知り、心豊かに成長してほしいと願う山田さん。そんな成長が楽しみで山田さんも早乙女会も頑張れるのである。
「私も、早乙女も齢をとった。こんなバカな事をやる人はいないと思うけど、もし、いるんだったら全てを伝えたいと思う」そんな言葉を耳にして帰路につく。
七尾にこんな総合芸術があることを誇りに思い、目頭が熱くなった。 秋が待ち遠しい。