温故知新 第7回 伝統のバスケットボール
柿島誠一さん(71歳)
県内で一目置かれてきた七尾のバスケットボール。
一昨年には七尾中学女子が、昨年は七尾中学男子が全国大会へ出場し、鵬学園も今年インターハイに出場した。今まで多くの選手や指導者が伝統を築き守って来ていることを市民としても誇りに思う。そんな中の指導者の一人、鵬学園女子バスケットボール部コーチの柿島誠一さんにお話を伺った。
情熱
「バスケの柿島先生」、名前は存じていたが驚いた。中島高校に10年、七尾商業に16年、両校を全国区に導いた監督なのに165cmと以外にも小柄だ。しかしバイタリティー溢れる情熱は半端でない。ここまで突き動かすものは何か。
これまでの戦績だが、山王小ミニバスで埼玉の全国大会出場。これが七尾のミニバスの走りとなる。
定時制の城北高校では県体、北信越大会で二連覇、そして30歳のとき中島高校に着任するもバスケ部が無い。部員を集めるところからのスタートとなる。
地元中学の有望選手はインターハイを目指し金城高校へ進む時代だ。3年経って総体決勝でその金城高校に延長フリースロー1本で負ける。2年後リベンジし、ウインターカップでは県体と北陸三県で優勝し全国大会出場。その後もインターハイベスト4、山梨国体3位と戦績が続く。更に長野県の実業団を破り全日本選手権に出場、インカレ5位の中京大に7点差で敗れるも部員11名「さわやかイレブン」と取材され全国に名を馳せる。
その後七尾商業に着任、7名の部員の前で、明日から頑張ろうと言った翌日に3名が辞める。1年生を勧誘し8名となり7ヶ月間の練習で県新人戦優勝。ここでもウインターカップで北陸三県優勝し全国大会へ。
会場は青山学院大学体育館だった。ベンチに8人で待機するも審判員から早く全員ベンチに入って下さいと言われる。ベンチには15席あるがそもそも8人しかいない。平成3年の石川国体では5位入賞。
短期間で少数精鋭に鍛え上げる柿島マジック。そんな指導力が認められシドニー、アトランタのオリンピック強化委員に。今年8年目を迎えた鵬学園では3度インターハイへ導いた。
全日本大学選手権のパンフレットには出身高が記されるが年々鵬学園の名前が増えている。今、地元出身者が大学、実業団で活躍しているが、これは七尾市内のミニバスと中学校での熱心な指導により裾野を維持し伝統を繋いでいるからに他ならない。
鵬学園メンバーのメンタル目標
知恩報恩
中高とバスケをやっていたが家の事情で就職を決めた。その時恩師の中浜耕三先生が親身になり日体大へ進学できた。しかし後悔するのに三日とかからなかった。当時はインターハイ出場者が集まる天下の日体大、そのメンバーでさえも3軍なのにお前何しに来たのだと蚊帳の外に。プレーは教えてもらえず第三陸上部と揶揄され練習は走るだけ。寮生活は地獄で毎晩トイレか屋上で泣いた。辞めて行く同期も多い。何度も逃げ出したいと思ったが中浜先生のご恩を思うと辞めるわけにはいかなかった。選手になれないが指導者になると覚悟を決め耐えた。
都内ベスト16の高校でコーチを始めるが公式戦勝利は1回だけ。そこから本格的に勉強を始めた。強いと聞けば違うスポーツでも足を運び指導法を学び、遠征先の指導者とは10円玉と百円玉を用意し5円玉をボールに明け方4時までシミュレーションし、理論が分かれば学生と一緒にプレーして感覚を掴んでいった。
今もバスケットは進化し戦術の質も変化しているので学びは止められない。迷った時には旧知の実業団監督に電話する。恩師中浜先生のご恩に報いるためだけにバスケを続け、多くのブレーンのお陰でバスケット人生を歩んでこられたと感謝する。 指導者は技術より情熱が勝らなければならない。