こみみかわら版バックナンバー

温故知新(第8回)しょうぶ湯は女のまつり


塚林康治さん(72歳)

七尾の習俗を40年間に渡り500人以上から聞き取り調査研究してきた塚林さん、この度「しょうぶ湯は女のまつり」と題しシリーズ3冊目が発刊されました。

私たちが暮らす故郷に昔から伝っている年中行事を初め、衣食住、信仰、伝説、方言などが時代と共にその姿が変わりやがて消滅していくことを危惧し、後世に伝え残すための記録としてしたためました。

囲炉裏に足を入れると田んぼにカラスが入るぞ

農家で育ち学校から帰ると家の縁側で祖父母から、在所に残る言い伝えや道徳的なことなどを何回も聞かされ、いつしか地域の歴史に興味を持つようになった塚林さん。

小中学校の教員として旧市内各地に赴いたとき、その土地の風習に興味を持ち生徒の祖父母から話を聞かせてもらいメモを取りました。同じ年中行事でも地域によって違いがあることが分かり興味が募ります。

真剣に調べ始めたのは33歳の時、昭和45年から6年間勤務した石崎小学校時代です。子どもたちと郷土クラブを作り毎日のようにお年寄りを訪ねて聞いて回りました。毎日が楽しくてしょうがなかったと振り返る塚林さん。ついには「かつぎ」のおばあちゃんを2年間密着取材し行商先の能登部までついて行きました。

立山が見えれば、翌日は春なら晴れ、秋なら雨

風の動き、潮の流れ、波の形、太陽、月、それらを勘案する石崎漁師の気象予知も凄く、イソライトの煙突からでる煙のたなびきで急変する天候を予知します。

現代はスマホで天気予報を調べ魚群探知機で漁場を探し便利になりました。ただ便利になった分だけ人間の能力が退化していると思います。同じように地域に伝わる年中行事も利便性を求めた生活様式に変化していく中で多くが簡素化され割愛されています。

歴史とは古文書に書かれてあることだけではありません。今を生きている人々から、先祖が伝えてきた事を聞き取り、そこから当時の人々が何を考え、どう暮らしてきたか、その心情面までを探ることも民俗学的アプローチによる歴史なのです。


集落という共同体がなくなる時代

自分は自分、人は人。人工知能やモノのインターネットが急速に普及しついていけないくらい便利な世の中になってきました。しかしどこか寂しい気がします。人と人の会話が無くなり、敬虔な気持ちが無くなり殺伐とした時代になるのではないでしょうか。

様々な年中行事にはすべて意味がありますが、今はその意味が分からないまま形だけ行なわれていることも多いです。
昔、元日は寝正月と言って、動かんもん、働かんもん、鍋釜使わず、掃除のほうきを使うと福の神が逃げていく。出歩くと、一年中出歩く癖がつく、お金も出て行くといったことが各地に伝えられています。これは門松を立て、しめ飾りを吊るしてお迎えし、その家を一年間守ってくれる年神様に慎みを持つために、仕事を休んで神社やお寺参り以外は出歩かないようにとの戒めです。

また田植えの前日は稲様三束を神棚にお供えし、翌日に田んぼの水口にその三束を植え祝詞を上げてから田植えを始めました。稲刈りが終わると最後の稲三株を床の間に飾って感謝を捧げています。農薬も肥料もない時代、豊作は神仏に祈るしかなかったのです。しかし便利な世の中になっていつしか信仰心が薄れていったことは否めません。

祈りは感謝の心を育みます。決まった日に、決まった所作で、決まった食物で、各地で様々な年中行事が執り行われてきました。その意味を知り、時代が変わってもその本質は伝えていかなければならない正念場にきていると思います。