こみみかわら版バックナンバー

温故知新 第14回 パパイヤ


野見 弘さん(80歳)

たびたびメディアに登場しているのでご存知の方も多いだろう。テレビではNHK、MRO、ラジオはFM金沢、新聞は北国、中日、そして農業新聞の全国版に取り上げられた。

きっかけはパパイヤだ。野見弘さん、80才とはとても思えないほどハツラツとしてパパイヤに夢を託している。

目標を持つ

七尾市下町で生まれた野見さんは、子供の頃から「お前は二男だからいつまでも家におられんので、外で工夫して生活するんやぞ」と言い聞かされて育ったという。そのせいか、目標が一つあれば、それに向かってどうするかを常に考える習性が身に付いた。

東京で10年間過ごし帰郷。教材を扱う学研の能登地区代理店を始めた。この時も自分で目標を立て、能登半島を隅々まで廻りながら、あの手この手と考え仕事をした結果、社長賞を数回受賞した。だが過疎と少子化が進み60才で区切りをつけた。

田んぼと警備の仕事をやりながら第二の人生をどう過ごすか考え町会長を引き受けた。田んぼの多い下町だが担い手が高齢化しこのままでは草の中に暮らすことになってしまう。農地を維持するためにはと行政に相談すると大型の圃場整備を提案された。その担い手となる農事組合法人SIMO陣屋を有志7名で立上げなんとか軌道に乗せることができた。
歳をとると大型機械は難しい。私の役目は終わった、実際の仕事は若い人に引き継いでもらおう。

第三の人生に何か面白い事はないだろうかと思っていた時、「父さん、青パパイヤ植えてみない?」と県外へ嫁いだ長女から電話があった。



青パパイヤ

南国の果物だと思っていたパパイヤだが、世界では7割が野菜として食されているという。日本ではまだ認知度が低い青パパイヤだが、野菜の王様といっていいくらいビタミン類やミネラル類、そして消化酵素が豊富で健康や美容に効果が高いことで知られる。

こんなものが日本でできるのなら面白い!琴線に触れ目標が立った野見さんはすぐに行動に移した。初年度は試しに10本の苗を仕入れた。思いのほか出来た。これだったら日本最北限のパパイヤ露地栽培がやれる可能性は十分にあると確信する。2年目は畑を借り受け100本植えた。「さくらfarm」と名付け苗の段階でオーナーを募集したら23名の応募があった。まずは作付けを軌道にのせ、七尾の特産品として地域に貢献したいと志を掲げる野見さんの姿に多くのメディアが取材に訪れた。おかげで3年目の今年、市内外から15名が作付けしたいと申し出があった。



感謝を忘れず

春に植えた苗が夏を過ぎれば2mにも成長する。その茎にぶら下がる緑色のパパイヤ。秋に収穫したものをどう消費させるかが今後の課題であり新たな目標となった。わかばの里、織姫、どんたく、中島ストアーに並べてもらう。産地として特産化を目指すのなら市場として受け皿が必要になる。オーナーの方がどう調理したか写真と意見をもらう。管理栄養士の橋本良子さんにもレシピを考案してもらう。スライスにして乾燥食品を試みる。体験型ツーリズムとしての可能性はないかと探る。

家族をはじめ多くの人の協力を頂いている。「走りながら考え、考えながら走る」野見さんの源は感謝である。母に元気に産んでもらい、両親に大切に育ててもらった。地域の人に迷惑をかけながらも様々な教えを頂いた。感謝を忘れないことを肝に銘じる野見さん。自分の損得より、ただただ地域にお返しをしたいと人生を楽しむ。 その若々しさに勇気を頂いた。