こみみかわら版バックナンバー

第46回 七尾市能登島鰀目町

228 七尾市能登島鰀目町

町名の由来

鰀目は昔から漁業の盛んな在所でね。その魚場を荒らし、漁師を困らせるエイがいたそうで、在所の嶽神社の神様が、そのエイの目を矢で命中させ退治したところ、ますます漁業が栄えたとのこと。それで、エイの目、鰀目(えのめ)になったと伝えられとるよ。

昔と今

昔は鱈漁で栄えていたらしいね。在所の記録によると、明治時代にすでに鱈網組という漁業組合が設立されていて、8組の網元があり、全世帯がどこかの組に加入していてね。 それが大正時代に不漁が続き5組になり、 昭和12年の支那事変で、若い衆が兵隊に行き、3組になったそうや。今でも定置網の大敷や小網、刺し網など多くの人が漁業を営んどるよ。 新鮮な魚が獲れるので、民宿も7軒あり、民宿ブームの時は大変な賑わいだったね。 現在は、昭和57年に能登島大橋が開通してから若い人が七尾に勤めたり、住んだりするようになったため、昔からの戸数は変ってないんだが、人数は半分に減ってしまっとるよ。 しかし、ここ近年若い漁師が増えたことで、活気が出てきたね。 他にも取り組みとしては、岐阜県の中学校を修学旅行に誘致し、漁師と民宿の青年部が協力して、『釣り』や『魚のさばき方』を体験してもらったりして、浜にも在所にも活気が出てきて、嬉しく思っとるよ。

町の自慢

非常に結束力のある在所やね。恵比寿祭は漁師にとって大事な行事でね、嶽神社のえびす様を船に乗せて、太鼓を打ちながら魚場を周り、子どもたちは『えびす太鼓』や『獅子舞』を先輩から教えてもらう中で、絆を深め、在所の伝統を引き継いでいっとるよ。そんなところも自慢のひとつだね。