こみみかわら版バックナンバー

第48回 七尾市鵜浦町

230七尾市矢田町

町名の由来

鎌倉時代の文献ではこの在所は東湯浦村とあってね。鵜浦という文字が出てくるのは、前田利家が気多大社の鵜祭の神事に奉仕するよう鵜浦ノ衛門に命じた古文書でね。1635年の古文書で、初めて鵜浦村と出てくるね。 まぁ、鵜祭りに関与したことで、鵜浦となったのではないかと思うね。

町の昔と今

昔は半農半漁で、お互い助け合って生活していてね。昔も今も、人情豊かな在所なんよ。時代と共に、学校や仕事も都会に出るようになり、過疎化が進んだね。在所にある北星小学校も来年は併合され、子供の声が聞こえなくなり、在所の活気が失われるんじゃないかと心配だよ。統廃合が進んでいるが、個人的には子供が減っても、複式学級でも良いので出来るだけ学校を残す事が地域や将来の国土のためにも良いのではないかと思うけどね。最近は県外からの定住者が増えたね。遊 びに来た人たちがここの生活を気に入って、空家を別荘代わりにしている人もいるよ。鹿渡島の定置網にも県外から若い人が何人も来ているしね。

在所の自慢

いろいろあるけど、鵜浦海水浴場は遠浅で一度も事故がないよ。監視員もいるから、安心して泳いでほしいね。 観音崎の灯台は大正2年に建設されてね、現在のは昭和60年に建て替えたものだけど、七尾湾の入口で船の安全を見守っとるよ。 また、鵜祭は有名だね。この祭りは、気多大社の神事でね、捕まえた鵜を鵜捕部が白装束に烏帽子姿で2泊3日かけて徒歩で運ぶんよ。鵜様道中と言って、国の重要無形民俗文化財にも指定されているよ。鵜の捕り方は秘伝でね。小西家で代々継承しているんだよ。

今後の取組

農家も60代~70代が多いんで、営農組合を設立し、圃場整備もしていきたいと思うとるよ。まぁ、なにより鵜浦に嫁いでくるお嫁さんが魅力を感じる在所にしないとね。