こみみかわら版バックナンバー

第78回 中能登町 金丸


在所名の由来


鎌倉時代の古文書で金丸という地名が初めて出てきているそうやね。
はっきりした由来は分からんけど、気多大社の大国主命が
少彦名命と力を合わせ邑智潟に住む大蛇を退治したという伝説があって、
その小彦名命が在所の多気倉長命の娘と結婚して、生まれた子どもが金丸翁と呼ばれ、
その子孫が後に村主になったという話が伝わっているから関係あるのかもしれんね。


昔と今


金丸には杉谷、谷内、沢、宮地、正部谷、横町の六町会があるんだ。
本来それぞれが一つの在所なんだけど、平成十七年の合併で中能登町になったとき
金丸の各在所を金丸という一つの在所としたんだね。
だから神社が六つ、お寺が四つもある大きな在所になったんだよ。
小学生の頃は祭りも各町会が一緒になって金丸中を練り歩いたけど、
今は人足が少なくてそれぞれで祭りをしているよ。

邑智潟の波止場もあってフナ釣りもしたし、雨が降ればゴザで作ったゴザボーシを被って通学したよ。
藁葺き屋根の家が多く、庭には柿、びわ、あんず、すもも、いちじく、
どこの家の庭に何があるか子ども達は頭に入っていて、遊びながら頂いていたもんだよ。
大らかな時代だったなぁ(笑)


在所の自慢


杉谷チャノバタケ遺跡から弥生時代のおにぎりの化石が見つかっていてね、
日本最古ということで「おにぎりの里」として町おこしにも一役買っているよ。

また気多大社との繋がりも深く平国祭では気多大社の神輿が
三月二十日に宮地の宿那彦神像石神社に一泊して翌朝に神社の神様が
その神輿に遷座し七尾の本宮神社まで行って、おかえりの二十三日には
金丸の全部の神社に寄るんだよ。
在所では昔から決まっている団子やおつゆをお世話して伝統を守っているよ。
太古の昔から住んでいた土地、先祖から受け継いできた土地なのでいろんな良さがあるんだね。
時代が変わっても自分達でやっていくという気構えを持って各町会ごとに
団結してやってるから、住民の繋がりは強いものがあるよ。