第80回 七尾市庵
在所名の由来
室町時代の古文書に伊折村と出てくるのが最初らしいよ。
それが江戸時代に庵村となっているんだ。
庵とは軍隊の宿営地という意味もあるから、地政学的に想像するのもおもしろいよ。
伊掛山、七尾城、石動山、海岸線、などの地勢と歴史的な背景を考えると、
何か理由があって伊折を庵としたんだろうね。
昔と今
ここには前畑(まえばたけ)という言葉があるけど、前の畑とは海のことなんだね。
「一万円札が泳いでいるのに、なんで捕まえんがや」と言われるくらい
山間の畑より前の畑のおかげで生活してきたからなぁ。
昔は鱈網や鰯網、マグロの子どもを獲るしびこ網など仕掛けていたけど、
今の定置網は鰯からクジラまで何でも獲れるんだよ。
魚は沖から磯へ入ってまた沖に戻る習性があるんで、
戻る魚を道網で誘導して定置網に入れるんだね。
子どもの頃は家の土間にブリが三本も四本も並んでいたね。
灘の定置網の歴史は戦国時代からと古いけど、漁場をめぐっての争いの歴史もあるんだよ。
前田利家がこの地の争いを判決した記録もあってね。
灘の海岸には沢山の定置網があるけど庵の漁港は岸端定置網組合の基地でね、
岸端は昭和五年に白鳥「岸の網」と江泊の「端の網」が手を結び、
さらに昭和六十三年に庵と百海の定置網も加わって、
今では網の規模と漁獲量は定置網では日本のトップクラスになってるよ。
これからは獲って売るだけでなく付加価値を付けて売ることも考えんならん時代やと思うよ。
親父の遺言が「漁師にだけなるな」だったけど紆余曲折して結局この世界に入ってしまったよ。(笑)
今は引退して町会長しとるけど毎朝四時過ぎに出漁する漁師の
活力が在所はもとより地域の活力でもあると感謝してるんだ。
在所の中は高齢化が進んでいるのでより一層近所付合いを大事にしないとね。
特に班単位で付合いを深めて常に声かけをして顔をみて何か気付けば
いおり道の駅は石川県で3番目に指定されました。
隣接するいいパーク七尾はキャンプも出来ますよ。
遠くにいる家族に連絡する。それが高齢化の進んだ在所の共助のあり方だと考えているんだよ。
あさみの一言
いおり道の駅は石川県で3番目に指定されました。
隣接するいいパーク七尾はキャンプも出来ますよ。