第81回 七尾市滝ノ尻
在所の由来
天保5年(江戸時代)の香典帳が残っていてね、それを見るとこの在所は十三世帯が始まりのようだよ。
集落より少し離れた場所で元屋敷と呼んでいるところがあるんだけど、最初の十三世帯はそこに住んでいたらしいよ。
子どもの頃、その元屋敷の裏山に入ると高さ二間(3.64m)、
幅一間(1.82m)くらいの水が岩の上から流れ落ちていたから、
山の法尻(のりじり)ならず滝の法尻、滝ノ尻となったんかなぁと思っているんだよ。
昔と今
私が子どもの頃、多くの家では炭焼きと田んぼの生活をしていたよ。
当時はまだどの家も火鉢を使っていたからね。男は山で炭を焼き、
女はその炭を七尾の街に売りに出かけていたんだ。
私の母も十五kgの炭俵を二俵、三俵と背負って山道を歩き七尾の街中まで売りに行っていたよ。
祖父の代から酒屋を始めていたので、帰りに酒を仕入れて、また背負って山道を戻ってくるんだ。
県道がない時代の山道を歩くんだから辛かったと思うよ。
車の通る道が出来たのが昭和三十九年でバラス道だったね。
雪が積もるとどちらに出るのも大変でね、大人は子どもの通学のため雪かきをして通学路を確保したんだ。
県道は細くてカーブも多いけど大事な道でね、毎年九キロを三月には空缶拾い、
七月は草刈と隣の多根町と共同で行っているんだ。
若い人は結婚しても在所に住まないので獅子舞も神輿も出せない状況になったけど、
お盆には懐かしい顔が帰省してくるので二日間の盆踊りを青年団と一緒に盛大にやっているよ。
盆踊りをするグラウンドは在所の四十二名の共有地の田んぼだったんだ。
当時は毎年四名ずつ交替で耕して、収穫したら当番の家に在所中でヨバレに行くんだよ。
そして十キロから六十キロまでの米俵を持ち上げる盤持大会をして盛り上がったんだ。
神社の広場には盤持石があって昔は山からの仕事帰りにそれを持ち上げては
力比べをしていたというから力自慢が多い在所だよ。唐戸山相撲の大関も出ているしね。
小さな在所だからこそ強い絆で結ばれていることは間違いないね。
かなこの一言
重い炭俵を背負い長い道のりを歩いた話を聞き、
現代の便利さに改めて感謝しなければなと思いました。