こみみかわら版バックナンバー

第83回 中能登町 下井田


在所名の由来


本当の所は分からないけど、ここは湧き水が多い在所でね、
田んぼの下は石ころだらけの地層で地面を掘ればすぐ水が湧くんだよ。
井戸の井、田んぼの田、それで井田になったんかなぁ。


昔今


明治時代には繭の生産が盛んで富山や長野に出荷していたらしいんだ。
私が小学生の頃でも蚕を育てるため桑畑が一面に広がっていたね。
桑畑の中を歩いて学校へ行くと、先生が桑の実を取った者、手を上げなさいと。
でも誰も手を上げないんだ、そしたら口をあけなさいと調べるんだ。
口の中が紫色になっているんでよく怒られたよ。
実はでかいし甘いし何回怒られても美味しかったよ(笑)。

在所の中はガッチャンコ、ガッチャンコと織物工場で賑やかだったよ。
まだテレビが普及していない時代に、シュクタニの工場は
大きくて食堂にテレビがあってね、年寄りと子どもが集まって
一緒に相撲を見ていたなぁ。懐かしいよ。

この辺はどういうわけか飛び地が多いんだよ。
在所の中の「かんすけどの池」は隣の東馬場の飛地でね、語継がれている話があるよ。
昔、下井田の有力者の娘が東馬場へ嫁いだ際に、その池を花嫁道具と一緒に持たせたらしいよ。
それなら池から東馬場までの水路はどっちの在所のものかという話になって、
水路の底は東馬場でも土手は井田のものだと言い合って、
今でもそこを不定地と呼んであいまいにしているんだよ。

この在所には不動滝から流れ落ちる水が熊野川となって流れ、
滝に向う山の入り口に熊野神社、その横に真言宗の円光寺、
滝では石動山の修験者が修業したのだけど、偶然にも同じような所が紀伊半島なんだ。
規模は違うけど、構図は同じだよ。那智の大滝があり、熊野川が流れ、
熊野大社があり、真言宗の高野山、熊野三山で修験者が修業。
どんな関係があるかしらんけど不思議だよ。
そんな縁で中能登町と三重県紀宝町は姉妹町になったらしいよ。

井田の獅子舞は町の無形文化財なんだけど、
一昨年も紀宝町へ行って演舞してきたんだ。
若い衆が真面目に頑張っている姿はほんと頼もしいよ。


かなこの一言


水の少ない在所に嫁ぐ娘。池まで持参させ、
幸せを願う親心。心に熱いものを感じました。