こみみかわら版バックナンバー

第84回 七尾市栄町


在所名の由来


昭和二十五年、戦後復興の中、七尾市が国分町に二番目となる
公営住宅三十八戸を建設したのが始まりなんだよ。
将来住宅地として栄えていってほしいという願いを込めて、
通称を栄町として入居募集したそうでね、正式に栄町となったのは昭和四〇年なんだよ。


昔今


新興住宅地ということで、役所、国鉄、郵便局、銀行などに勤めている人が多かったよ。

昭和四〇年代から一般住宅が徐々に増え始めて、在所も大きくなってきてね。
家々が連なって生活するので、みんな顔見知りになるんだけど、
町としてもっと団結するために何かが必要だと言うことで、
青年会が中心となって昭和四十八年に奉燈祭りを行う事に決めたんだよ。
奥能登から原木を調達し製材したものを在所に運んでね、
皆で協力し一ヶ月で完成させたんだ。太鼓や鐘、法被も寄付を頂いたりしてね。
囃子は本場石崎の囃子が良いということになり、石崎町の方々にお願いして練習したんだよ。
八月四日の祭り当日は快晴で初練は町民総出で盛り上がったよ。

近年、分かったことなんだけど、藤橋バイパスの工事の際に遺跡が出たんだ。
これが結構大きな遺跡でね。バイパスの部分だけで五十戸以上の住居跡があったんだ。
栄町全域が遺跡らしくて昔からここには町が形成されていたんだね。
地図を見るとここは国分寺と香島津(七尾港)を結ぶ道の中間あたりに位置しているんだ。
栄町は戦後の新しい町であり、また古い町でもあったことを実感したよ。

防災防犯の一環として町内の街灯を二年がかりで全部LEDに交換したら夜は明るくなったよ。
子どもや高齢者が安全に生活できるように特に気を配っていかないとね。
毎月楽栄会(老人会)で集まって講話や歌、スカットボールなどをして
お昼を食べてコミュニケーションを深めているんだよ。

昨年の矢田郷地区の運動会では藤橋、所口、栄町で作る本宮チームが始めて優勝したんだ。
小さな町だからこそ、お隣とも連携協力は必要だし、そこで絆を深めることが、
これから益々進む高齢化社会ではより意味を持ってくるんだと思いますね。


かなこの一言


在所の皆さんの笑顔を見ていると、
どの世代も楽しく暮らせるように様々な
工夫をされているんだなと感じました