こみみかわら版バックナンバー

第89回 七尾市深浦町


在所名の由来


浦とは入り組んだ海岸線のこと、その中でも特に奥まった深い入り江。
その入り江を囲むように人が住んだ在所だから深浦なんだね。


昔の暮らし


昔は漁師町で殆どが漁業を営んでいたよ。牡蠣の養殖、
ぼら待ち櫓、ナマコのタテ引き網、地引き網、刺し網など、家庭菜園ではないけど、
自分の家で食べるだけの牡蠣養殖をみんなやっていたよ。深浦は魚が周ってくる場所でね。
戦後すぐにクジラとイルカの大群が深浦に入ったことがあってね、
その時は湾の入り口を藁縄の網でふさいで逃げられないようにしてから、銛で突いたらしいよ。
海が血で真っ赤になったと聞いているよ。
本当かどうかわからんけど、湾の対岸まで鯨の上を歩いて渡ったという話を聞いたよ。
その時鯨を突いた銛が実は鹿追いの槍らしいんだ。

年寄りに聞くと、昔はこの辺りに鹿がいたというんだ。
西岸の他の在所にもその槍が残っている家もあったから、
地区のみんなで鹿を捕まえていた時代があったんだろうね。
その槍を持ってクジラを突いたというんだ。
獲ったクジラを浜に上げ解体した肉を在所中に配ったと聞いているよ。
私が高校生の時もイルカの大群がきているしね。


現在の深浦


ご多分にもれず、少子高齢化になっているよ。何の活動するにも工夫がいる時代になったね。
祭りの人足が在所で揃わないよ。他の在所から応援に来てもらったり、
青年団が友達を連れてきて何とかやっているよ。
今思えば昔の年寄りは、海や山で体を張って仕事をしとったから強い体しとったなぁ。
お熊甲の祭りでも肩にこぶを作って背中を出して神輿や枠旗を担いでいたけど、
今はあんな真似誰もできんね。在所では菜の花を植える取組を始めているよ。
のと鉄道で中島駅から西岸駅に向って最初に見えてくる海が深浦でね、
電車から見下ろすといい風景なんだ。
そこに市の花、菜の花を植えていこうということなんだ。

いろんな工夫が必要だけど小さな在所だけでは限界があるんで、
今、西岸地区の8つの在所で西岸地域づくり協議会を立上げ、
問題を整理して共通のテーマや目標を決めて行こうと話し合いを始めたんだ。
伝統を守りながらも時代にあった改革が求められていることを実感してるよ。(笑)


かなこの一言


上杉謙信から逃れた洞穴、弁慶の足跡石、
古き深浦を訪ねれば、歴史に想いが馳せます。
温故知新、地区の皆さん頑張って!