こみみかわら版バックナンバー

第92回 七尾市大手町


在所名の由来


江戸城も金沢城も、正面玄関口に通じる表門を大手門と呼び、
その周辺が大手町となっているところをみると、
このあたりが小丸山城の正面玄関口で大手門でもあったのかなぁ。
でも本当の所はよくわからないんだよ。


昔の大手町


大正14年に七尾駅が現在の場所に移ってから商店街が形成され始めたらしいよ。
井田屋食堂、古一金物店、さたみや旅館なども鍛治町から移ってきたんだ。
興能信用金庫の場所に神明神社があって、その向かいに印鑰神社があったんだ。
それが藤橋(所口)と府中に移っているんだ。

昭和30年代、高度成長時代に入って商店街は全盛期を迎え、
私が子供の頃は本当に賑わっていたよ。
初売りの1月3日、文化の日の11月3日など、ものすごい人出だったよ。
スーパーのあかとめ、パーラー、どんたくが通りに並び、
地価が1坪百万円もした時代だよ。
今は10万円でも買う人いないけどね(笑)

リボン通りの名物、七夕写生大会は今年で第48回になるけど、
昔は画用紙が800枚も出たというから驚くね。
近隣から本当に多くの子供達が集まって来たんだね。 
60店以上あった商店も、今は25店だよ。


これからを考える


人も車も通らなくなった大手町に野鳥が飛んで来て、
そのさえずりを聞いていると、大自然の循環というか、摂理を感じるんだよ。
人も家も店も、商店街も国家も栄枯衰勢、何か通じるものがあると思えるね。
小売からスーパーへ、そして専門店へ。街中から郊外へ、
今、少子高齢化の時代を向かえ、コンパクトシティーへと戻るのではないかと思うよ。
そんな端境期の時代はじたばたせず、時の流れに身を任せ、
競争ではなく共生を考えることだと思うんだ。

旅館をやっていて感じるけど、都会のお客様は、
柴垣の夏牡蠣でも、橋立や輪島のカニでもないんだよ。
能登の牡蠣を食べた、能登のカニを食べに来た、なんだよね。
能登には自然や風土、文化、宝物がいっぱいあるけど、
独り占めしようとすると、良い事でも、伸びしろが無くなるね。
みんなに分け与え、より大きな力に変えていくことの方が賢いよ。
大手町と桧物町、銀座通りが変わりばんこに民生委員を出しているけど、
商売も暮らしも助け合わないとね。


かなこの一言


祖父の時代、父の時代、身近な昔。
でも、知らないことがいっぱい。
どの時代もみんな一生懸命生きている。