こみみかわら版バックナンバー

第94回 七尾市中島町北免田


町名の由来


免田とは、租税が免除された田んぼのことだけど、
この在所の田んぼが免租田だったという記録はないんだ。

永禄2年、1559年9月25日付けの釶打熊野権現奉加札に、
一斗、釶打免田村よりと書かれているので、戦国時代には間違いなく免田村だったんだね。
それがなんで北免田になったかというと、明治時代に郡制が施行されて釶打が羽咋郡となったんだ。
そしたら旧押水町にも免田があって、同じ郡に同じ村名があることになり、
こちらが北にあるから北免田となったんだね。明治16年のことだよ。


在所の歴史


郡への編入運動が始まるんだ。
それは羽咋の郡役所に出かけるにしても、峠を超え、
富来に出て、そこから更に羽咋まで行かないとならない。
不便と言うより大変だったんだね。
地形的に見るとあきらかに鹿島郡なのにね。
ようやく鹿島郡に編入できたのは、昭和23年の大合併のときなんだ。

明治、大正、昭和の 年間ずーと編入運動を続けていたというから、
やっと念願叶ったときはどんなに嬉しかったことかと思うね。
この在所には峨山道が通っているんだよ。
峨山往来とも言ってね、羽咋の永光(ようこう)寺から門前の総持寺まで、
13里というから約52kmの山道なんだ。

鎌倉時代、総持寺の二租、峨山韶碩(がざんしょうせき)禅師が、
永光寺の住職を兼務することになり、早朝に永光寺で朝のお勤めをして、
それから総持寺の朝のお勤めに間に合うようにと20年以上往復したと伝わっているよ。


昔と今


私の同級生だけで9人いたよ。
ここは耕地整理が早かったんだけど、そのトロッコがあってよく遊んだなぁ
竹でソリやスキーを手作りし、免田川が熊木川に合流する関で泳いだりと、
自然の中で遊んでいたね。

最近は少子高齢化が進み、在所の行事ごとが難しくなってくるね。
それでも先日も地区の社会体育大会で優勝したんだよ。
縄縫い競争で点を稼いでね(笑)こんな種目は年寄りの得意とするところだからね。
在所の事も老若男女、適材適所で協力してやっていくということだよ。


かなこの一言


県道を曲がり在所に入る。自然に囲まれた
里山の暮し。静かな時間と空間。
取材中につばめが家に入ってきた。