こみみかわら版バックナンバー

第95回 七尾市三引町


町名の由来


在所には60町歩の田んぼがあるけど、
その水は昔から平沢、御手洗池(みたらしいけ)、
杉の堂という三ヶ所の水源から引いているんだ。
それで三引となったらしいよ。
どれも湧き水なので枯れたことが無く、
干ばつの時でも水不足になったことないよ。


在所の歴史


平成6年高田インターから、のと里山海道への道路をつけるとき
発見された三引遺跡は、約6千年前の縄文時代から江戸時代にかけて
暮らしていた遺跡だとわかったんだ。
貝塚から漆塗りの櫛が発見されたけど、日本最古のものだそうだよ。
古くから人が住んでいたんだね。

それと何と言っても、ここは赤蔵山の歴史を背負っている在所だよ。
地元では御前山とも呼んでいるけど、奈良時代に聖武天皇が開いたと言われ、
120もの坊があるお寺で修業の場だったんだ。
歴史上二度の戦乱に巻き込まれてね。南北朝時代の足利尊氏の戦乱と、
上杉謙信の七尾城攻めで全て焼失したんだ。
それを長連龍が再興するんだけど明治の神仏分離と一村一社令によって
多くの建造物がなくなったんだね。
そうして残ったのが今の赤蔵神社なんだ。
鳥居から参道を進むとお寺の仁王門があって、
拝殿はお寺の講堂を移築したもので、当時の趣が伝わるよ。

17年に一度の御開帳には、神社の境内に特設舞台を作って壮年団が歌舞伎を奉納しているんだ。
その年の団長は大変だよ(笑)


在所の自慢


全国名水百選に選ばれた御手洗池があるけど、
昔、近くにあさ池という池があって、
その池で尼さんが腰巻を洗ったら神様が怒って水が無くなったんだ。
それでこの御手洗池を新たに作ったという話しも伝わっているよ。
水深20cmと浅いんだけど、何百年も前に谷を埋めて出来ているので
底無し池だとも言われているよ。

それと三引はジジ面とババ面が踊る珍しい獅子舞なんだ。
越中獅子が伝わったと聞いていたが、富山県の関係者によるとこんな踊りは無いと言うんだ。
武術の基本が必要な踊りなので赤蔵山文化の中で変形したのかもしれんね。
何だかんだ言っても昔も今も赤蔵山の恵で暮らしている在所だよ。


かなこの一言


赤蔵山の歴史、文化、伝統が息づく在所。
10月9日、三引の獅子舞、見に行きます。