こみみかわら版バックナンバー

第96回 能登島二穴町


在所名の由来


在所の海岸の絶壁に二つの大きな洞窟があるんだ。
海からでないと見えないけどね。
大きい穴を日穴(ひいあな)、
小さい穴は月穴(つきあな)と呼んどるよ。
それでこの在所は二穴なんだね。


在所の歴史


二穴城という七尾城の出城があったんだ。
七尾の港に入る船がここ小口瀬戸を通るので、
船を監視するのに良い場所なんだね。
室町時代に畠山氏が築き、後に前田利家が家臣を配して、結構な構えだったようだよ。
その隣は佐波の免屋(めんにゃ)という深い入江なんだけど、一部を埋めて田んぼにしたんだ。
それで長島という大きな島が陸続きになったと聞いているよ。
対岸の三室町が目と鼻の先で免屋の田んぼに三室の人が舟に牛を乗せて来て耕していたよ。

二穴の人と一緒に田んぼするうちに、お互い嫁様を貰ったり、
嫁がせたりしてね、私の親の世代の人たちはそこを縁つなぎの田んぼと呼んでいたよ。
私の母親も三室から来ているんだ。在所の集会所は昔の野崎小学校二穴冬季分校だったんだ。
1年生から4年生まで3月期だけの分校でね。野崎まで4キロ、冬の山道は小さい子には大変だったんだね。


子どもの頃


青柏祭、港まつり、明治節、そして寺参りに七尾へ行くのが楽しみだったなぁ。
定期船が一日一往復していてね。
穴水の甲を出た船が鰀目、野崎、日出ヶ島と
魚箱を積んで二穴には8時半か9時頃に来て七尾へ行くんだよ。
ゴムの短靴を裸足ではいてね。東島丸、藤丸、崎山丸があって、
今日はどの船が来るんかなぁと待ったもんだよ。

島の人はたいがい七尾の親戚縁者を頼って府中町か湊町に宿を持っていていたんだ。
大橋が出来てからは泊まる事ないけど、そんな関係で今でも秋に新米を届けているよ。
大橋の料金が往復1700円だったけど、フェリーが片道850円だったからそれに合わせたんだね。
ここの全世帯が七尾の長福寺の門徒でね。
1年に数回七尾へ行くことが楽しみだったから、親と一緒のお寺参りも嬉しかったよ。
おかげで信心深い人が多いね。(笑)

少子高齢化が進んだけど、秋祭りだけは野暮とヤンチャでやっているよ。
獅子舞は女の子にも踊ってもらってね。
重点事業は猪対策の電気柵設置が今年も続くよ。


まぁの一言


二つの穴、初めて見ることが出来ました。
穴の奥底は輪島まで通じ、神の力が宿って
いると伝わっています。