101回 七尾市鍛治町
町名の由来
小丸山城下は、御祓川を挟んで西を商人の町、
東を職人の町として形成されているんだね。
鍛治町は東側の鍛冶職人が住んだ町だったから
鍛治町、そのまんまだよ。(笑)
昔の在所
明治31年、本府中町に七尾駅が出来て川原町交差点が玄関口となり川原町、
鍛治町がメインストリートとなって多くの商店や旅館が並んだんだ。
大正14年に七尾駅が現在の場所に移って人の流れが変ってしまい、
鍛治町にあった商店が何件も大手町に移っていったんだ。
町内は大町(おおちょう)と金井町(かないちょう)と二つの地区があって、
大町は市内に入る街道筋で大店(おおだな)が並んでいた通りで
金井町は鍛冶職人が住んでいて一本奥の筋通りなんだ。
なぜ金井町かと言うと鍛冶屋は火と水を使って仕事をするんだけど、
ここは井戸を掘ると豊富に水が出たんだ。
この通りの全戸に井戸があったよ。
井戸のおかげで鍛冶仕事も出来て生業が立ちお金になった。
だから金井町と呼んだと古老から聞いているよ。
デカ山
青柏祭の山町としての責任を感じているんだ。
伝統があるだけに様々なしきたりがあり、
一年中デカ山のことが頭から離れないよ。
維持や準備など一年がかりでね。
山車の組立は釘を使わず藤つるで縛るけど
柳田まで行って地中を這っているのを採ってくるんだ。
水分を含んだつるで無いと切れるんだよ。
むしろ編みは3月から始めるし、
組み立ても土日、土日と続けていくんだ。
昔は矢田の在所の人で組立を専門にする人たちが
いたけど高齢化したのと、クレーン車など機械化したことで、
今は連町のデカ山好きな人たちが集まって
本当に一生懸命やってもらってるよ。
デカ山保存会の力無くしてデカ山は運行出来ないんだよ。
これから
少子高齢化が進み昔と同じ町会運営は出来ないけど何とかしないとね。
それで「町内再発見と輝きへ(伝統と革新)ワクワク探し事業」と
いうことを提唱し、まず足元の情報を共有するため
鍛治町相互通信紙を発行して意見の場作りを行い、
今をどう暮らし、将来どんな町内を目指すのか
皆で考えたいと思っているんだ。
かなこの一言
デカ山を操る鍛冶職人の心意気が今でも漂う町
往年の賑わいが目に浮かぶ