こみみかわら版バックナンバー

102回 中島町土川


町名の由来


昭和60年頃ほ場整備した時、田んぼから石ころが一杯でてきたよ。
山間を日用川に沿って4キロに延びる在所だけど川が氾濫していたんだろうね。
そんな川だから雨が降るたびに土砂で泥水になって流れていたらしいよ。
それでこの在所を土の川、土川と呼ぶようになったという説があるよ。


昔の在所


田畑と山仕事でこれと言った産業は無いけど、
「土川名物、これ無けれど、堂伽藍七つ、これ名所」という歌があってね。

土川にはお寺が三つ、神社が四つあったんだ。
今は一つずつになっているけど、荒屋神社では9月23日に甘酒祭をするよ。
これは合祀した四つの神社の中に天満宮があって菅原道真を祭っていたんだ。
菅原道真は幼少すでに母がなく甘酒で育ったという縁起話なんだ。
在所に麹屋があった頃は祭り時期になると全世帯で甘酒を作っていたけど、
今は麹を注文して13軒が作ってお供えしとるよ。
どぶろくになる前で本当に甘いんだ。

秋祭りは六保祭に出とるけど、昔は熊甲祭に出とったらしいよ。
明治以前の話だけど土川は久麻加夫都阿良加志比古神社の氏子だったんだ。
そこの神社の娘が豊田町の日吉神社へ嫁いだとき
土川を付け氏子として持たせたんだね。信仰心の厚い在所でね。
二つのお寺は豊田と笠師へ移ってしまって、在所では忍性寺だけになったけど、
集会所にも仏壇を作ってあるよ。
相続講、見真大師講の他、少し前までは頼母子講、二文講もあったんだ。
在所の年寄りが子供の頃、講が終わると持ち寄った煮物を食べるから、
にもん講だと思っていたらお金を二文持ち寄って本山護持に務めていた講だったと笑っていたよ。


これから


老人会がスカットボールを月一回、
民生委員がお世話して老人会の女性で作るすみれ会が
健康体操やものづくりを週一回とみんなが集まる場を設けて活動しているよ。
青年団員も少なくなり、壮年団員も高齢化していくので、
10年前から燦燦(さんさん)会を作って
年齢に関係なく集まって在所の行事ごとをやるんだ。

小子化はどうしようもなくて在所の祭りに獅子舞が出せない状況だよ。
それで豊川公民館で保存会を作って、
地区全域から集まった子供達に土川の人が指導して、
秋の六保祭の獅子舞を出しているんだ。

時代の変化に合わせて、あり方も変えていかないと
伝統を守ることは難しくなってきたね。


まぁの一言


田を耕し信仰を大切にした暮らし。
素朴な中に独自の風習と文化がある在所。