こみみかわら版バックナンバー

第103回 七尾市半浦


町名の由来


昔は飯浦と書いて、「はんのうら」と呼んでいたそうだよ。
明治22年から現在の半浦に変わったんだ。
何で飯浦だったかというとね、本土から能登島に飯米を運んだ
浦だったからだという説と、隣在所の閨の鴫島で修業していた臥せの行者に
飯を運んだからだという説が伝わっているよ。


昔の在所


明治から昭和初期までリン鉱石の採掘を行っていたんだ。
現在の半浦港がその採掘跡でね、海底がすり鉢状になっているんだ。
港を囲む堤防は当時のままだよ。
日本はリン鉱石をほとんど輸入しているというから、珍しい鉱物が出ていたんだね。
私が子供の頃は、百姓が大多数で、刺網、蛸壺、
なまこ等の漁業、石切り場もあって、切り出した石を伝馬船で運んでいたね。
私の祖父さんも石切り場をやっていたんだけど、
田鶴浜三引の赤蔵神社の石段は半浦から運んだ石だと聞いてるよ。


現在の在所


在所の妙万寺は23代続く古いお寺でね、在所の全世帯が門徒なんだ。
それと古くからの風習で兄弟分や
烏帽子(よぼし)親子の契りを交わしている人が多い在所だね。
そんな絆があるから団結力の強い在所なんだと思うよ。

能登島の運動会や、いろんな作業ごとも含めて、
やらなければならないことは、みんな協力してやってくれるので心強いね。
在所の柴山神社は伊勢系列でね、年4回のお祭りの祈年祭、
春と秋の祭り、それと新嘗祭には五穀の5品と海の物1品、
酒二升に赤飯を神社にお供えして在所みんなでお参りをしているよ。
特に秋祭りは獅子舞のほかに馬踊りがあるよ。
かつては能登島の三つの在所で馬踊りがあったそうだけど、
今は半浦だけに残っているんだ。

能登島大橋の橋口から西湾に面した海岸線だけでも
5キロ以上あって、和倉や能登島大橋が見えて風景も良いし、
空気も良いので、佐原病院のビハーラの里や、
特別養護老人ホーの悠々ホームが建っているし、
最近は介護付き有料老人ホームも建ったね。

自然の中、のんびりとした空気は、人が暮らすには良い所だよ。(笑)


まぁの一言


対岸に和倉温泉を望み、喧騒を離れた海辺を歩く。
人と自然と人。遠き古えを想い人生を考える。