こみみかわら版バックナンバー

第106回 七尾市麻生町


在所名の由来


読んで字のごとく、昔は麻が良く生えていた場所だったそうだよ。
それで麻生となったと聞いているよ。


昔の在所


七尾城と灘浦を結ぶ中間地点で標高も298mあり、
見張りをするのに重要な場所だったことから人が住むようになったんだね。
佐々波で獲れたブリをお城に運ぶ道が通り、その中継地になっていくんだ。
在所で一番古い家が因幡さんで先祖は畠山の足軽だったそうだよ。
この辺の山間の在所はほとんど戦国時代の上杉や前田の家来か、
石動山から来た人たちがルーツのようだね。
こんな山の中だけど八幡川が流れ粘土質の田んぼが30丁部もあって生活の基盤はあったんだね。
ここの米は水もきれいでほんと美味いよ。

戦後は石炭の一種、亜炭の採掘が行われていたけど徳政組はここからスタートしているんだ。
世帯数は明治時代が13世帯で10年前までも
12世帯だったけど、人口がどんどん減ってしまってね。
明治で100人、私が子供の頃でも60人はいたんだ。
そんな時代は若い女の人は冬になると和歌山県へミカンもぎに行っていたよ。


現在の在所


平成10年に麻生山菜加工組合を作って、
山菜の漬物や炊込みご飯などを和倉の朝市や食祭市場、道の駅などで販売しているんだ。
主力商品は大根、かたは、きゅうりの糠漬で、
1年寝かせたずいきも珍しかったのか良く売れたよ。
かきもちは大寒に入ってから作るんだ。
過疎化していく在所の中に働ける場所があるということは有難い事だよ。
みんなが結束していけるからね。
ここは小さい在所ゆえにみんなで助け合ってやってきたんだ。

全世帯が黒崎の長正寺門徒だし、私の家も昔は大家族主義で
分家を出さず同じ家で暮らしていたと言うし、本当に団結力の強い在所だよ。
若い人は街へ出て暮らしているけど、祭りやお寺の行事、在所事には集まってもらうんだ。
今のところ獅子舞も出しているけど、次の世代になったときが心配だね。

在所の上を能越道が通って車の音が聞こえるようになったけど、
どうやって在所を存続させるか、若い人が定住できるのか、考えていかなならんね。


まぁの一言


道沿いに吊るした大根と炭焼小屋。
小径に黄色い落葉、郷愁を覚える。