こみみかわら版バックナンバー

第108回 七尾市一本杉町


在所名の由来


二説あってね、一つは小丸山公園の愛宕山に本宮神社があった時代、
そこに大きな一本の杉が立っていたそうだよ。
港に入った船はそれを目印として船着場に着いたそうで、
その一本の杉の袂の通りだったことから一本杉通りと呼ばれていったという説と、
北前船の全盛期、七尾はその寄港地として賑わって豪商の邸宅や遊郭なども立ち並んでいたんだ。
主に七尾からの積荷は、筵や米、日本酒などでね。
当時造り酒屋も二十軒以上あって、新酒の頃には青々とした杉玉が軒先に吊るされ、
杉の酒樽が積まれていたんだ。一本の通りに杉玉と杉樽が並ぶ、それで一本杉という説もあるんだよ。


一本杉通り


小丸山城下の街道で商店の街として発展し、
江戸時代後期には光徳寺が移転して来て門前町としても賑わっていくんだね。

文化の日に一本杉に露店が並ぶのは光徳寺の報恩講の大市なんだよ。
昭和42年に小丸山公園下にバイパスが出来るまでは軒先ギリギリにバスも通っていて、
本当に賑やかな通りだったんだよ。
昭和43年にいとはん、49年にユニーが出店してから人の流れが大きく変わってしまったんだね。


花嫁のれん


一時の勢いを失ったけど町会も振興会も復活を願う気運が高まってね。
まず歴史的建造物が多い事に着目して、平成16年に能登で初めて国の登録有形文化財の申請をし、
勝本邸、お茶の北島屋、万年筆の旧上野啓文堂、鳥居醤油店、高澤ろうそく店が登録されたんだ。

450mの通りに5軒、それも使用されている。こんな所はないんだよ。
次に立ち上がったのが町内の女将さんグループでね、花嫁のれん展を提案してくれたんだ。
初回から想像を超えて人が来たのでビックリしたよ。これで町内も活気づいたんだね。

翌年から花嫁道中を行い、だんだん評判になって全国から視察や観光客が訪れるようになったんだ。
それでお店には語り部処の看板を掲げ、訪れた人が気軽にお店に入って
一本杉や花嫁のれんの事を聞けるようにしたんだね。
昨年花嫁のれん館が完成し沢山の人が訪れているけど、多くの人が尽力してくれたお陰だね。


まぁの一言


母が持たせてくれた一枚の暖簾。
それぞれの人生が宿っている。