第112回 中島町谷内
在所名の由来
二十日祭りの熊甲神社の神、藤津比古神が瀬嵐付近に来臨し、
鎮座地を定めるために矢を放って飛んで来た場所がこの在所の加茂原だったんだ。
矢が落ちた地、やおち、が転じて谷内になったと伝わっているよ。
谷内の歴史
寄もいたほど、昔は沢山のお寺や神社があったんだよ。
万葉集に「香島より熊来をさして漕ぐ船の揖取る間なく都し思ほゆ」と
歌われた熊来とは現在の熊木地区で当時はここがその中心地だったようだね。
中世までは谷内一帯に寺院郡があってね。その名残で山王前、善光寺田、神明、
社家、大門、高札、おぼくさま田、加茂、稲荷などお寺や神社に関する地名が沢山あるよ。
現在も神社の横に観音堂があり能登国観音様霊場の23番札所になっているし、
昔はその観音様の近くにお熊甲祭りの久麻加夫都阿良加志比古神社があったと聞いてるよ。
県道から在所に入り集会所の前を神明と呼んでいるけど、
そこから奥に18軒あって、それがもともとの在所だったんだ。
在所の真ん中を谷内川が流れ、周りを山で囲まれている
この地形は風水では理想郷だと言われているんだ。
そして沢山の神仏のおかげで、この在所は災害が一度も起こっていないんだよ。
一番奥にある滝社から流れる水で目の病気が治るとかつては
多くの人が訪れていたけど、能登縦貫道路(里山海道)が通った時に
移設してから水の勢いが弱まってしまって今は訪れる人もいないようだね。
昔は農林業と大工や左官の職人が多かったよ。
一時期は中島名産の小菊かぼちゃの一大産地となってクラカケという
場所一面かぼちゃ畑になっていたけど、30年くらい前から徐々に生産農家が減り、
露地栽培から立体栽培に変わり今は数人が手がけているだけだよ。
まぁの一言
県道から在所に入ると空気が違う。
風水の理想郷、心穏やかになる在所。