こみみかわら版バックナンバー

第113回 田鶴浜町上野ヶ丘


在所名の由来

この場所は三引や田鶴浜の人たちが野菜やお茶を作っていたんだ。
そこに昭和37年から6年間かけて100戸の町営住宅を
建設して出来た新しい在所なんだよ。
建設が始まった場所が三引の「うわの」という字名だったことから、
上野ヶ丘と命名されたんだよ。正式には「うわのがおか」なんだけど、
みんな「うえのがおか」と呼んでいるよ(笑)。

在所の歴史

私が転居してきた50年代はまだ新興住宅地で
20代、30代が大半の若々しい町内だったよ。
だから田鶴浜町大運動会では優勝をして盛り上がっていたね。
そうして少しずつ在所として絆が出来るんだけど、
何分新しい在所ゆえに伝統が無かったんだ。
住吉大祭の仲間に入れてもらったけど、もちろん山車はないから、
人形だけ作って宿元に集まって人形見をしてたんだ。
その頃役場庁舎の落成式があって、お祝いの行事に獅子舞をだそうと決めたんだ。

七尾山崎の在所へ習いに行って、当時の中西陽一知事の前で披露したんだよ。
みんな山車を持ちたいという想いが募っていくんだね。
偶然か必然か在所の竹中さんが御祓製材所で山車を見かけたんだね。
聞くと米町のちょんこ山の山車を新調するのに、古い山車を置いてあったんだ。
その古い山車を米町から譲り受けたんだよ。
製材所の屋外に置いてあったので、話が決まった翌日にブルーシートを
掛けに行ったと言うから当時の熱い想いが伝わるよ。

現在の在所

若かった在所も年月が経って高齢者世帯が多い在所に変貌したよ。
数年前から上野ケ丘コミュニティセンターを
活動拠点として介護予防や交流を意識した組織、
グループ、デイ上野ケ丘ゆうゆうクラブの活動が始まったんだ。

毎週火曜日に集まってラジオ体操をして市民憲章を
みかんの花咲く丘のメロディーで歌い、出前講座を受けたり、
手工芸やトランプなど楽しんでいるんだ。

ここは田鶴浜高校があるおかげで、レクリエーションや手話を生徒から習ったり、
また入学式や卒業式には在所でお祝いの看板を立てたりして
交流を大切にしているんだ。
生徒の「おはようございます」の元気で若々しい声が響き、
春にはウグイスの鳴き声も聞こえる、住みよい在所だと思っているんだよ。

まぁの一言

車の人形は桃から生まれた桃太郎
新しく生まれ伝統を築いている在所