こみみかわら版バックナンバー

第119回 七尾市和倉元町


町名の由来

約1200年前、白鷺が海で傷ついた足を癒やしているのを
不思議に思った漁師が近づいて温泉が出ているのを発見したと
伝わっているけど、温泉が海の中から湧いていたことから湯が湧く浦、
湧浦と呼ばれ、江戸時代に和倉となったということだよ。
当時の古文書では湧浦村と和倉村が交錯してるんだけど、
これは七尾を所口と呼んだり七尾と呼んだりしたのと同じように色々あったんだろうね。

昔の温泉街

和倉七軒といって昔は七軒の百姓が住んでいた在所が温泉のお陰で発展したんだね。
19歳で石崎から和倉元町へ養子に来て60年経つけど、
その頃は今の源泉の周りに小さな旅館が
並んでいて元町だけで25軒、芸者の置屋も4軒あったよ。
源泉は熱いので旅館には浴槽が二つあって交互に冷やしては使っていたよ。

当時はどの旅館も小さかったので会合するため青林寺の
近くに小さいながらも観光会館を建て会合が終わると
マイクロバスで各旅館へ送っていたよ。
1日に120人以上の観光客が来ると
七尾の松田花火が自転車に道具を引っ張ってきて花火を1発打ち上げるんだ。
いでゆ太鼓も各旅館の玄関先で歓迎の太鼓を打つんだ。

私はモーターボートで七尾湾の遊覧をやっていたけど
近隣の機場(はたば)から集団就職の女工さんの気晴らしにと沢山連れて来てもらったよ。
観光客も団体が多く街にはたくさんの芸者が三味線もって歩いているし
昭和40年代が面白いほど賑わっていたね。
それで小さかった旅館も観光会館も場所を移して大型化していったんだ。
ところが大型化した旅館がホールや宴会場を持ったから
今の観光会館が使われなくなったんだね。
それと家族客が増え芸者に声がかからなくなり、
いつしか置屋も無くなったんだ。

現在の取組

土地柄で和倉温泉観光協会がヨット、
よさこい、太鼓、俳句などいろんなイベントに
関わっているので町会はよさこいの手伝いをするくらいだよ。
和倉には自然、歴史、文化と潜在的な魅力がいっぱいあるんだから、
一本杉の観光ボランティアみたいに丁寧に案内すればと思うんだ。
和倉の事なら隅々まで案内できるけどね(笑)。
和倉から七尾湾をアプローチすれば違う
景色が見えるって事にも気付いてほしいんだがなぁ…。

まぁの一言

灯台下暗し、魅力がいっぱいだった。
和倉だけで1日過ごせそう。