こみみかわら版バックナンバー

第120回 七尾市水上


在所名の由来

山の中腹にある在所から深い谷間を見下ろすと、
熊淵川とその支流の水上川と2本の川が流れている在所なんだ。
そして山も沢山の水を含んでいて、水の豊かな在所だったんだよ。
それで水の上にある在所、水上となったと思うね。

昔の在所

七尾城に使えていた農民が隠れ家のように暮していた在所だよ。
元祖は畠、白藤、村山、西尾の4軒だけど、
畠さんが在所の神仏をお世話する中心的な家だったね。
在所内で婚姻が進み今ではみんな親戚だよ。江戸時代、
赤穂浪士討ち入りの頃には12軒だと古文書にあるね。

江戸末期から在所でガバダンと呼ぶ山で石灰石を採掘して
牛で東浜まで運んで近郷に肥料として売っていたようだよ。
昭和8年からは津向のセメント工場に空中ケーブルで滝ノ尻、
小池川原、八幡を通って運ぶようになるんだけど、
ガバダンで働く人が増えて多い時で48世帯300人以上が
暮らすようになり、在所にあった第2南大呑分校が
城南小学校として格上げされたんだ。

子供の頃、寄合いで大人から「オイ、獲ってこいや」と言われると、
川の岩魚を手づかみで獲って、竹に刺して味噌を漬けて、
囲炉裏で焼いてみんなで食べたんだ。
寒の時期にカキモチを作るけど、この時に大根のおろし餅みたいにして、
つきたての餅に鱈の真子の煮付けをまぶして食べるんだ。
この「鱈の子餅」が水上のソウルフードなんだ。

今の在所

ここは岩盤に表土が乗った地質で昔から地すべりが多く、
山の水を抜いた小さな工事跡が沢山あるよ。
大災害にならないようにと県がボーリングで水を抜く大工事をしたんだ。
そしたら在所中の井戸水が枯れてしまって、
それで平成13年に谷で堰き止めた水をタンクに入れ
滅菌してパイプで各家庭に配水したけど水質が良くなく困っているよ。
市に相談したら水道工事の地元負担が1千万円ほどかかると言われ諦めたね。
空き家も多く狸の家になっているんだ。
実は10数年前まで街で暮らしていたけど、
一生懸命働き、精一杯遊んで、納得したからここに戻って来たよ。
まだ勤めているけど田んぼしたり、猪を獲ったり、
寺参りしたり余生を満喫してるんだ。
やっぱり古里で最後を迎えたいと思ってね。
水上は今住んでいる人を最後に消滅するけど、
我々8人が最後の水上住民として歴史に残るんだよ(笑)。

まぁの一言

人も在所も栄枯衰勢あり、
今を前向きに生きる事が大事。