こみみかわら版バックナンバー

第122回 中島町外原


町名の由来

中島の山戸田の分村なんだよ。時代は分からんけど、
在所の福島豊次さんの先祖が、山を越して来て見れば、
ここは田んぼも出来るし暮らすことが出来る場所だと
見極めて入植したのが始まりなんだ。

山戸田の外にある原、ということで外原となったわけだよ。
以前は「そどら」と言っていたけどね。

在所の歴史

ここは五反百姓の在所で田んぼと炭焼きをして自給自足の暮しだったようだね。
冬の間は都会のツテを頼って出稼ぎに出たと言うし、次男坊は銭湯へ奉公に出たんだ。
今でも在所出身の3人が東京と神奈川に銭湯を経営しているよ。
風呂と言えば昔は貰い湯をしたんだ。風呂を沸かした家が近所へ声を掛けてね。
夏はタラ湯と言って風呂の半分ほどのタライを外に置いて釜戸で沸かしたお湯を入れて、
これも貰い湯するんだけどその家のお母さんが最後に入るんだ。

何事もお互い様の精神が強いんだよ。
戦後しばらくまで裏山で亜炭の採掘をしていて馬車に積んで中島の駅まで
運んでそこから貨車に積んだと言うよ。
その馬車も途中から木炭車のトラックに変わって、
そのトラックに乗って昭和22年の金沢の国体を若い衆が見に行ったらしいよ。

区長も壮年団長も選挙で決めた活気ある時代もあったんだ。
そんな時の団長が在所の小祭りで、20日の熊甲大祭にどうか枠旗を持って行きたいと頼むんだ。
小さい在所なので他から人足を頼むけど費用が掛かるので、
不作の年ならダメだとおやっさまの一声で決まったんだ。みんなで協力して生き抜いてきたんだね。

これから

田んぼで暮らした時代は各家に親子二夫婦が必要だったけど、
今は機械化で人出は要らんし、田んぼでは暮らせんし、
若い人が在所に残る必然性がなくなって過疎になってしまったね。

自然だけは豊かで在所中に蝉時雨が聞こえ、
川には鯉が泳ぎ、夜はホタルが舞っているよ。
中島から福浦港までの県道は地蔵街道とも言われ沿道にお地蔵様が
沢山あるけど外原には無かったんだ。

それで10年前の能登半島地震で一軒の被害も出なかったことに感謝し、
在所の末永い安寧を願ってと曽田政治さんがお地蔵さんを、
その祠を大工の石坂寿さんが建立してくれたんだ。
この先も何とか現状維持しながら少しでも長く続いていってくれればと願っているんだ。

まぁの一言

巴形の田園を家々が囲む。
あちこちに鉄砲ユリが自生し、
穏やかな空気が流れる在所。