こみみかわら版バックナンバー

第123回 七尾市松百新町


町名の由来

読んで字の通り元は松百町の在所で、昭和38年頃から宅地造成が着工され
昭和40年代から家が増えた場所なんだ。
年々新しい人が増えてきたので、昭和47年に団地代表が松百の町会長と
協議して了解を頂き新しい町が誕生したんだ。
松百の中で新しく出来た新町ということだね。

在所の歴史

ここが造成されてからオイルショック前までの
10年間に家が順番に建っていったんだ。
その頃は赤浦の踏切を渡ってここに入るのだけど、
その踏切が狭くて大型車が通れなかったよ

。最初に造成された地区が1班から3班で、
その後昭和50年代から踏切の反対側の山も順次開発され
4班と5班が出来て、昭和57年に小丸山台方面からの西湊幹線が
開通してから一挙に人が入ってきたんだ。
その道路沿いに平成14年に第1期、平成20年に第2期とシティハウス産業が
造成し6班と7班が出来たんだ。
そこは昔リンゴ山だったことからシティハウスの瀬口会長が
アップルタウンと名付けたんだね。

宮が無いので家が20軒くらいの時までは
松百町の祭りに神輿と太鼓が来てくれたんだ。
人が増えたので当時の青壮年団が集まって子供の神輿と
大人の奉燈を手作りで作ったんだ。
おかげで今はそれで毎年お祭りしているよ。

これから

町が出来て半世紀、世代交代が進むけど
、空き家が出ても業者がリフォームして売り出すと、
交通の便が良いのですぐに新しい人が入ってくるのも明るい兆しだね。

平成24年に松百町と一緒に七尾病院と自由防災協定を結び、
災害時に在所と病院が互いに協力し合うことにしたんだ。
この在所は青壮年団の力が大きいよ。当初からの世帯は高齢化してきたが、
新しく住む若い世帯も多いので、子供会25名、青壮年団31名と何があってもやってくれ、
町内を引っ張ってくれるので本当に心強いんだよ。

そんな子育て世代や、働き盛りの人たちが世間で精一杯活躍してもらえるよう、
今は我々世代が在所の中の事をお世話させて頂いているんだ。
それぞれが、それぞれの立場の中でご縁を頂いて、
みんなのために尽くすという精神が必要なんだね。
それを繋いで行き、いつの時代も子供も年寄りも明るく
笑顔の絶えない町内にと思っているんだよ。

まぁの一言

新しい町に暮らす。隣近所とお付合いが始まり、
一人が全体のために、全体が一人のために
結束する在所。