こみみかわら版バックナンバー

第125回 七尾市魚町


在所名の由来

昔は海に面していて魚町の波止場は所口湊と呼ばれ漁業が盛んな在所だったんだ。
魚町会館の横の広場が共有地でね、そこに網を広げていたんだ。
その横に漁業の神様である恵比寿様のお堂もあったんだ。
その名残で今でも3月と9月に恵比寿祭りを行っているんだよ。
ここから獲れた魚を畠山氏へ献上していてその頃には
すでに魚町と呼ばれ500年の歴史があるんだ。

現在は正式名称として「うおまち」となっているけど、
在所ではみんな「ようまち」と言っているよ。
魚は古語では「いを」と読み、それが訛って
「よう」と発音されるようになったんだね。

昔の在所

天正14年に前田利家から魚類の専売権が許されてから魚の加工や
販売が勢いを増していくんだ。昭和40年代でも9軒の魚屋が並んでいたけど、
今は立野さんと小川さんの2軒になったよ。
その頃は一本杉に劣らず繁昌した商店街でね、魚屋だけでなくいろんなお店が並んでいたんだ。

当時の広瀬ストアさんのコカコーラ販売量は北陸一だと言われたもんだよ。
現在の網元(あみげん)さんの所に銭湯のえびす湯があって
一本杉通りを走るバスから脱衣場が見えると男衆の間で密かに噂されていたよ。
ともあれ活気がある良き時代だったね(笑)。
明治28年の七尾大火で在所が管理していた古文書がほとんど燃えたけど、
一冊残ったのが明治19年に作られた魚町土地台帳なんだ。
在所のまんぞう割りのために作ったのか、一筆地ごとの寸法の入った絵図面に地目、
地積、地租、地主が書かれているんだ。明治時代に在所でこんな調査したとはあっぱれだよ(笑)。

でか山

それと何と言ってもでか山だね。でか山があるから町内が一致団結しているんだ。
畠山義統(よしむね)が山王神社の青柏祭に曳山を奉納することになり、
魚町、府中町、鍛冶町がでか山を勧進し、魚町に畠山の
「丸に二の字」の家紋が与えられたんだ。

前号の山王町の記事で津向町の唐崎神社とあったけど、
あそこは津向と小島が入り組んでいて正確に言うと小島町なんだよ。
青柏祭はその小島町の唐崎神社で神主が紅葉川の水を取り、
禊をして祭りを宣命し幕が開くんだよ。

畠山と前田の殿様から魚のご縁を頂き力をつけた在所だったからこそ
山を持つことも出来たのだと思うよ。
殿様と先祖に感謝しなければならないね。

かなこの一言

城下の商人町に山がある。
時代が変わっても、変わらぬ心意気。