第132回 田鶴浜町深見
町名の由来
七尾湾に流れる深見川の河口付近の田んぼは江戸時代に埋め立てられたけど、
昔はその海がさらに細長く入り江となって在所の奥深くまで入り込んでいたんだ。
それで深く入り込んだ海から、深見となったようだね。
石川県には門前と輪島にも深見があるけど、門前の深見も海が奥まで入り込んでいるらしいよ。
昔の在所
古い資料によると、深見40軒の内、頭振り0人、
白浜40軒の内、頭降り9人と書かれているんだ。
頭降りとは農業以外の職種で漁業、運送、商売などのことで、
深見は40軒皆農家だったということだよ。
江戸時代中期に干拓の願いを出した文書があるけど、
その干拓した田んぼに水を引いたマンポが105メートル現存しているよ。
そのマンポの入口付近が元々の在所の中心地で、国道寄りに新宅が広がっていったんだ。
深見川上流の平沢(ひらそ)という場所には7軒あったけどみんな移住したよ。
子どもの頃は深見潟で御所守(ごしょもり)という白くて平たい貝を
よく獲っていたけど、源平合戦、壇ノ浦の戦いで幼少の安徳天皇が入水、
一緒に海に身を投げた平家の家来が貝となって海の中の天皇の御所を
守っているから御所守と名付けられたと聞いたことがあるよ。
能登に逃れてきた平家の人々がそんな話を伝え、名付けたものかねぇ。
これから
在所ごとに自治公民館活動をしていた旧田鶴浜町が七尾市と合併したとき、
相馬、田鶴浜、金ケ崎の三つの公民館に統合されたけど、
唯一深見だけ自治公民館を残して活動しているんだよ。
古くから続く地蔵祭りに合わせて、ふれあい祭りを開催して
恒例の仮装盆踊り大会や、劇団を呼んだりとそれは盛大だよ。
昔から田んぼを一緒にやってきた在所で、田植えの日は朝3時、4時に大きな農家に集まり、
賄い方の年寄があずきの雑煮を作って、在所中の子供もそれを食べては学校へ行ったんだ。
そんな絆を受け継いでいるので結束力は抜群に良くて、
昨年の町民運動会は優勝したし、平成24年から始まった20丁部の圃場整備も
今年から作付け出来るのでみんな張り切っているよ。
深見はこれからも大人も子供もみんなで楽しく力を合わせて頑張っていく在所なんだよ。
あきこの一言
力を合わせて生きてきた、
深見の在所、大きな家族。