第134回 七尾市女郎浜通り
町名の由来
府中町には5つの町会があるんだ。府中とは古代国府に由来した名称で、
国分町から古府・本府中・山王からここら辺りまで府中だったらしいよ。
前田利家が城下町を作る時に、府中の海岸地帯を割いて
城下町の府中町としたことから、府中村と府中町が分かれたんだね。
女郎浜通と記載された江戸時代の絵図があるよ。
女郎浜というから遊女が暮らしていたと思う人もいるようだけど、
そういう話しは何処にも伝わっていないんだ。それと気多本宮縁起の中で府中の浦、
上古、穢土鼻、女郎浜より毎年2月酉日に女子1人を御供に備え、
神秘の祭礼を行なっていたと書かれているけど、ここでの女子が由来に関係しているやもしれんしね。
最近は市役所からの通知が、女が良いの女良浜となって届くよ。
女郎という言葉のイメージが好ましくないと計らっているのだろうけど、
こうして歴史が上書きされて、だんだん本当の所が分からなくなるんだろうね。
昔の在所
畠山時代から海上交通の玄関口で、前田時代には経済、文化の中心地として栄えたんだ。
1862年にイギリスの軍艦が3隻も港に入って来て町中大騒ぎになったらしいよ。
府中といえば印鑰神社だけど、実は江戸時代に187年間は女郎浜通の東端、
ちょうど私の家の辺りにあって、そこから現在の場所に遷座したと
山王神社の大森宮司から聞いているんだ。波止場を中心に経済が活性化しいろんな職業が集積して、
七尾を代表する旦那衆も沢山いたと聞いているよ。
子どもの頃の女郎浜は通りのほとんどがお店でね。荒物、左官、建具、飴屋、和傘、
糸屋、仕立屋、畳屋、小間物、銭湯もあったよ。
それとここは能登島の縁者が多いのも特徴なんだ。
これから
子どもの声は聞こえないし、高齢化は進むし、班が成り立たなくなってきたよ。
同じ悩みを持つ他の町会と話し合わないと町会運営も難しい現実があるよ。
でか山と奉燈祭、それと青壮年会が催すお盆のバーベキュー大会には、
帰省した人も参加するのでそこで町の絆を確認できることが
唯一の救いだと思っているんだ。私は転勤族で全国を回って来たから強く感じるけど、
歴史、文化、自然とこんなに恵まれた場所は他に無いよ。
故郷をなんとしても守っていかんとね。
かよの一言
府中の浜に、人が行き交い、街が出来た。
今に続く、女郎浜の通り