こみみかわら版バックナンバー

第135回 中島西谷内


町名の由来

ここは三方山に囲まれた盆地で地形の谷内にちなんでいるんだ。
隣の熊木郷に谷内という在所があるので江戸時代に
そこと区別するため西谷内としたそうだよ。
最初は西谷としたそうだけど、いつしか西谷内と書くようになったということらしいよ。

昔の在所

まずは西ヶ谷城のことを話さないとね。
昔は城跡に畑があり子供の遊び場だったけど、近年は荒れ放題でとても人が
入れるような状態ではなかったんだ。それが朱鷺棲む里山釶打クラブで郷土史に
詳しい地元の歴史家唐川明史さんに話を聞いて、大変な城だったんだとビックリしたんだ。

それで平成28年に在所を上げて城跡を整備したんだよ。
1年がかりで間伐して遊歩道をつけ看板も立てたんだ。
その事がニュースに出たら城ブームもあって人が訪れるようになったんだ。

室町時代に畠山一族の城として築かれているんだ。
整備したら外堀、内堀が何重にも掘ってあったよ。
郭跡も見受けられるし、水が湧き出ているし、本格的な居城としての構えがあったんだ。
七尾城が上杉謙信に攻められた時ここも落城したんだよ。

昔ここは中島と富来を結ぶ街道で茶屋があって釶打地区の中心地だったんだ。
役場の支所、中学校、旅館、酒屋、呉服屋、雑貨屋、床屋、畳屋、
映画館まであって中島まで行かなくても事が足りていたんだよ。

昭和23年までは羽咋郡だったくらいで富来との交流が深くて
新宮の枠旗祭りには富来の氏子も枠旗を持ってきて一緒に祭りをしていたんだ。

これから

ここ5、6年で急に高齢化が進んでね、80歳前後が半分、70歳で若い方だよ(笑)。
若い人たちの多くは中島か七尾で暮らしているんだ。
そして猪や狸、狐が在所の中を堂々と歩くようになってきたよ。

昨年から3年計画で猪対策を始めたんだ。
今は山裾を幅40m伐採して農地との間に緩衝地帯を作っているんだ。
その後電気柵を取り付けていく予定だよ。それと今年から圃場整備も入る予定でね。
西谷内川の源流の水で美味しい米が採れる在所なんだよ。

それにしても、まぁー寂しくなってきたよ。
どーにもならんけど死ぬまでここにおるがやから、
おるもんだけで、一生懸命やっていくだけだよ。
朗らかに暮らして出来るだけ健康寿命を伸ばして、
動かれる間は在所のために尽くす覚悟だよ。

あきこの一言

訪れた在所で故郷の歴史を知る。
しばし城跡で先人の営みに想いを寄せる。