第136回 七尾市藤橋町
町名の由来
藤橋の土地は随分と広い範囲にまたがっていてね、
地番は能登総合病院周辺まで広がり、昭和25年までは馬出町や御祓町も藤橋だったんだ。
かつて国分寺と小丸山城址公園の愛宕山にあった本宮神社を
一直線で結ぶ道路が通っていてそこに旧家が並んでいたんだ。
小丸山城の外堀が在所の中にあり、そこに藤の橋が架かっていたことが
町名の由来だという説があるけど、どのあたりに架かっていたかは定かでないらしいよ。
昔の在所
一昔前までは竹薮と田畑しかない矢田郷の在所だよ。
大正14年に耕地整理を完成させているくらい旧家はみんな農家でね。
高度成長期に田んぼを埋めて住宅が建ってきたんで、境界が不明確になることを心配して、
在所の事業として昭和52年に耕地整理の境界杭を入れなおして測量をしたんだ。
お陰で里道水路と田んぼの境界を確定した図面が在所にあってね、
七尾中学校の用地買収もその図面を参考に測量したんだよ。
藤橋は野菜作りが盛んでね。粘土質の土地に適した野菜は何か、
商品価値を高めるにはどうするかなどを在所の高島さんの
親父さんがガラスのハウスを建て研究を始めたら、
みんな高島さんの所で一緒になって勉強してね、
それでキュウリやトマトなど野菜作りが本格的になって苗まで販売していたよ。
これから
住人は農家、非農家、アパートの3グループで構成されて外国人も多いので、
協力する部分と割り切る部分とのバランスが必要だね。
それでも夏祭りは在所あげての盆踊りに屋台を出して、打ち上げ花火と盛大だし、
町内会の旅行も毎年バス2台で行けるから嬉しいよ。
ここの子どもは山王小、七尾東部中へ進学するんだけど、
在所に七尾中学が出来たもんだから今は小丸山小、
七尾中へも希望すれば進学できることになったんだ。
運動場の照明とパチンコ店のネオンで夜も明るい在所に変わってきたよ(笑)。
東屋の旧家が並ぶ通りは11体の地蔵様が点在する地蔵通りなんだ。
なんでこんなに地蔵様があるのかわからないけど、
昔からこの在所の歴史を見守ってきた地蔵様なんだ。
広い藤橋に人が集まり、北、南、西と町名を分けなければならないことになったけど、
地蔵様だけは分かれることなくここに留まってくれたんだ。
どんな時代になっても末永くご加護を頂きたいと願っているんだよ。
あきこの一言
あっちにも、こっちにも、お地蔵様。
どんな歴史を見てるのかな…?