こみみかわら版バックナンバー

第139回 中島町河崎


町名の由来

旧富来町日用村を源流にする日用川が豊川平野を流れ
七尾西湾に注ぐけど、その下流に集落を形成している
最後の在所がここで、川の先っぽの在所、
河崎となったと伝わっているよ。

昔の在所

在所の裏山に戦中戦後は畑をしていた二町歩程の平地があるけど、
そこには昔は七堂伽藍があり立派な社もあったと伝わっていて、
上杉謙信に焼き払われてしもうたと年寄りが子どもに聞かせていたもんだよ。
今在所には徳照寺という立派なお寺があるけど、これは西岸の長浦にあった真言宗の
お寺がこれも上杉勢に焼かれたんだけど、再興にあたり河崎に移り浄土真宗に改宗しているんだ。

この徳照寺に平安時代の宮廷音楽の雅楽の楽団があるんだよ。
明治時代に在所の金森萬造、岡野市太郎、国田久太郎という
進取の気風あふれる男達が取組んで雅楽三人衆と言われていたんだ。
現在も引き継がれ門徒12名で編成されていて、能登で四つしかない
貴重な楽団として1月と10月の報恩講で演奏しているんだよ。

ここの祭りは秋が9月9日と田んぼ時期と重なるので、
春を主体に行なう様になった歴史があるんだ。
子どもの頃は、祭り道具の奪い合いするほど子供がいたし、
在所の9割が御招待していたほどの夜遅い祭りだったけど
今はそんなことなくなってきたね。

これから

昭和30年には102戸、現在106戸、世帯数は変らないけど人口は半分になっているんだ。
中島駅に近くお店や事業所も多い在所だったけど、
人口が減った分だけ何事も負担が大きくなっているんだよ。
道路愛護のえほりの面積は変らないけど出てくる人が減っているからね。

在所の金森総本家の子孫で元北陸学院大学教授の金森俊朗先生が
2010年にペスタロッチー教育賞を受賞したことは誉れに思っているんだ。
この賞は民衆教育に貢献した人に贈られ宮城まり子、山田洋次、黒柳徹子、
アグネス・チャンなど有名人も受賞しているんだよ。
先生の教えのように固定観念に捉われず、物事の本質を見極めて、
何をどう捉えて、どうしなければならないか、それをみんなで考えていけるようになりたいね。

山あり、川あり、田んぼあり、まず第一として恵まれた
在所の財産の手入れをすることで、在所のみんなが繋がっていける、
そんな集いの場に出来たらいいなと思っているんだ。

あきこの一言

お寺の前を流れる日用川の桜並木
静かな田園に心地よい春風