こみみかわら版バックナンバー

第3回 能登島長崎


七尾日本海に細長く突き出した能登半島から、さらに海を隔てた島、能登島。
そして島内で本州とつながる橋からいちばん遠い集落のひとつ長崎町。
富山湾が目の前に迫り、晴れた日にはその先に海越しの立山連峰を眺めることができます。
海と山の恵みをどちらも受けられる地域です。

【長崎町の町名の由来については、寛政六年・一四六五年の八幡社再興棟札に
「長崎左衛門太郎」と当時の土豪の名が見られるということです。】

長崎ってどんな町?

「昔は、海の幸、山の幸がすごい豊富やった。海では魚はもちろん、海藻や貝類が沢山とれたし、
山では良質のマツタケがいちめんに生えとった。子供たちも、自然の中で元気いっぱいに遊んで、
とても自然に恵まれた地域だったんやよ。でも、今じゃあ人口も減って、25世帯で80人ほど、
一人暮らしや高齢化も進んで、小学生以下の子供は今6人しかおらん。
土地を手入れする人も減ったから、山や田んぼも荒れてしもうとる。」

「能登島自然の里ながさき」〈代表 室屋哲生さん〉

私たちは、里山の保全と再生、地域の振興と交流人口の拡大に取り組んでいます。
町内会、生産組合、婦人会と協力して、休耕地の改善、海辺の環境保全、森林の再生、
地域資源の活用とかを進めとるんです。ここ長崎町は、半農半漁の集落で、
生物多様性が維持され、能登島ならではの豊かな自然が残るすばらしいところ。
能登島の自然を活かした長崎町の活性化に頑張っとるよ!

町会長〈角三さん〉

集落のまとまりがあるからこそ、里山里海の活動が進められた。
みんながそれぞれにできる形でいろいろ協力して、活動してくれるからね。
外部からのボランティアの受け入れなんかもしとるんやよ。
昔みたいに家族三世代が暮らせるように、長崎町から独立していった若者が
帰って来られるような地域にする。それが私らの務めやわ。

みこの一言

愛しそうに長崎の山を眺めるお二人でした。
能登島長崎を心から愛してらっしゃるんだな~と感じました。